2018-05

超どうでもいいブログ

時々思うのだが、このブログって、
何人くらいの人が読んでくれてるのだろう。
よほどの有名人でない限り、ブログの読者はごく少数、
その人のまわりの人だけなんだろうし、
このブログもたいしたこと書いてないし暗いし、
読んでる人なんてほとんどいない気がします。

「読んでくれた人。人数を知りたいので、いいねをお願いします」
って書いたら、読んでくれた人の数がわかるなあと思ったけど、
でも、「1」とかだったら悲しいから、やめときます。

まあ、空に向かって発信してると思って書きます。

公演が終わると、ほとんど人と会話をしなくなり、
なんとなく気分まで後ろ向きになるのは、いつものこと。
ただ、今回はちょうどライター仕事が入ったので、
朝早くから原稿を書いてます。その分、孤独感は軽減される。

今朝も6時に起きて今日の分の原稿を書いて送信。
思った以上に早く片付いたので、下りの電車に乗って知らない駅で降りて、
ちょっとした小旅行。高低差の多い武蔵野台地の一角を、
ブラタモリ気分で歩く。いやあ、不思議な土地でした。

角を曲がると、思いがけなく坂道だったり、
道がへんなふうにカーブしていたり。どうして?
そのうち、「次の角を曲がったら海が広がってないかなあ」とか、
「あの坂を登りきったら、すごい谷だったりして」なんて、
へんな妄想が浮かんできて妄想地図。
そんな土地でした。どこかは秘密。

帰ったら脚本。じつは次の脚本をもう書き始めてます。
しかし書きながら「今おいらが書きたいのは、これじゃないんだよなあ」
という思いがせり上がってきて、あー違う違う違う、
そう思い始めると、もう進まない。

どうして「これじゃない!」と思うものを書いてるのだろう。
なんかモヤモヤするので、
夕方はモンプチ持って顔なじみの猫を見つけに。
ソワレがいないけど、べつの野良猫がいたので、
モンプチの袋を振ってシャカシャカ音をたてると、
ピクンとして寄ってきた。

不思議なのだが、どうして猫たちはモンプチのシャカシャカ音を聞くと、
ピクンと反応するのだろう。飼い猫はわかるけど野良猫までも。
生まれてから1度もモンプチの音を聞いたことなさそうな猫も、
「あ、あの音!」みたいな顔をする。
すべての猫のDNAには、もはやモンプチの音が刻み込まれているのか?

今日の野良猫もそうでした。
モンプチの音に反応したので、あげてきました。
いつもはすぐ逃げるヤツなのに、モンプチの誘惑には勝てない。

なんか今日は、
いつにも増して、どうでもいいブログですね。
どうせほとんど誰も読んでないんだろうなあと思って、
あえてどうでもいいことダラダラ書いてます。

もしも僕が犯罪でも犯せば、
「今村容疑者はこの日のブログにこんなことを書いています」
みたいな感じで話題になるのかな。

あ、犯罪といえば、
ある場所で起こった殺人未遂事件の犯人が逮捕されたのだけど、
それが、ずいぶん前に付き合ってた女の子の下の名前と同じで、
年齢もなんとなく近い。住んでる場所も。
ただ、苗字が違うのだけど、ただ彼女は結婚したと噂で聞いたので、
もしかして……なんて思い始めたら、なんかすごく気になってます。

気になってるけど、確かめようがないし、
確かめたところで……まあ、いいか、忘れよう。

あー、なんか、どうでもいいブログですね。
これじゃあ読者がいなくても文句は言えないな。

明日はもっと頑張ります!!






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嘘つきを探せ

天気予報どおりの時間に雨が降り出しても、
「すごいなあ、予報が当たった!」と感心するよりも、
「なんだ、当たったのか。べつに当てなくてもいいのに」
と思ってしまうのは、ひねくれてるのでしょうか?
でも天気予報って、当たらないほうが人間的でいいと思うけどね。

最近テレビをつけなくなったのは、
いつまでも同じ話をあれこれこねくり回してるだけで、
すっかり飽きてしまったから。飽きるのも良くないと思うけど。

国際社会で注目されてるアレも、国会で議論されてるアレも、
スポーツや大学の在り方を問われているアレも、
突き詰めてみれば、どれも「一体だれが嘘つきか?」
という問題で揉めているだけ。
世の中全体が「嘘つき探し」で大騒ぎしてる。

世界は、やっぱり嘘で動いてるってことなんですかね。
お金でも神でも善意でも夢でもなく、嘘。

ぼくも嘘つきです。たくさん嘘をついてきた。
ぼくの人生を動かしてきたのは、嘘です。嘘って、すごい。

いっそのこと、テレビも、まわりくどいことやめて、
「本日のベスト嘘つきは、この人です!」とか、
「世界の嘘つきショー」とかやればいいのにね。
フィリップ・K・ディックのSF小説に出てきそう。

嘘をついてる人の顔は、どこか卑屈で、暗い。
いやいやいや、嘘つきを探してるほうの人たちの顔も、
やっぱりどこか歪んでいて、まともじゃない何かを宿している。
なんていうか、「ザ・正義!」みたいな晴れやかな顔は、
ずっと見てると居心地が悪くなります。
それは、ぼくが嘘つきだから?かもね。

さて、そんなわけで、今、テレビで見てるのは、
放送大学『初歩からの化学』です。
科学的真理に嘘はありません。

↑ いや、これは冗談です。
放送大学は見てません。嘘つきました。







じつは、ゴジラ

翻訳家岸本佐知子さんのエッセイ集を読んでたら、
(というか、これエッセイなんですかね、奇妙な文章ばっかりで)
着ぐるみが怖い、みたいなことが書かれてた。
着ぐるみというか、着ぐるみの中に入ってる人、というか、
ともかく、かわいらしい外見と、中に入ってる人のギャップが怖い、
そんなようなことです。

それ読んでて思い出したことがあります。
ぼくは1度だけ、ゴジラの着ぐるみを着たことがあります。
東宝から借りてきた本物です。
まあ、本物といっても映画撮影に使ったものではなく、
宣伝のために何体か作られたうちのひとつだと思いますが、
ともかく東宝からじきじきに借りてきたのは間違いない。

フリーライターになりたての頃、
インタビューの仕事であるお医者さんに会ったのですが、
そのお医者はゴジラが大好きで、
ゴジラを生物学的にマニアックに解説した本を出版した、
それについて某雑誌に掲載する記事を書くためのインタビュー。

で、当然、写真を撮影するわけですが、
ただお医者の顔写真だけじゃつまらないと考えた編集者が、
わざわざ東宝から着ぐるみを借りてきて、
お医者とゴジラのツーショットを撮影することになったのです。

インタビューが終わって、さて誰がゴジラを着るか?ということになった時、
編集者とカメラマンの視線は、じっとぼくに注がれていました。
そんなわけで生まれて初めての着ぐるみ体験はゴジラ。
狭くて、臭くて、重くて、ひどく孤独だったのを覚えています。

昔、剣道をやっていたのですが、
剣道の防具を着たときの、あの匂いと重さ、あれの100倍くらい。
さすがゴジラって感じです。

でも、それを着てポーズとっていると、
しばらくして自分が本当にゴジラのような気がしてきたというか、
そのまま外に出て街を破壊しても許される、みたいな、
へんな高揚感を感じたのを覚えています。

小さなのぞき穴から見るまわりの世界はひどく遠く思えるし、
編集者やカメラマンは、ぼくをぼくとしてではなく、
完全にゴジラを見る目で見ている(ような気がする)。
今思えば、着ぐるみってすごい、着ぐるみ効果っですごい。

もしもずっと着ていたら、本当にぼくはゴジラと化すのではないか?
というのは大袈裟かもしれないけど、
まったく想像もしていなかったゴジラとの一体感に、
自分でもちょっと驚いていました。

で、本当は、ここから先、
この着ぐるみの話にひっかけて「役を演じる」というのはこれに似てるかも、
みたいなことを書こうと思っていたのですが、
うまくまとまりそうにないし、そもそもたいした話でもないので、やめます。

というわけで、かつて本物のゴジラになったことがあるという、
ささやかな自慢話(?)ですね。

あ、最初に戻りますが、岸本佐知子さんのエッセイ集は、
すごくどうでもいい話ばかりで、なんとも形容しがたくて、
読んだらすぐ忘れそうな文章ばかりで、オススメです。









『庭』には、庭は出てきません

阿佐ヶ谷パールセンターにはドラッグストアが4軒あって、
どこもちゃんと商売として成り立っているようです。
みんな薬が必要なんだね。
欲しいものがあって朝早くから4軒をハシゴしたのだけど、
開店してすぐなのに、どこもお客さんが並んでる。
ドラッグストア中毒みたいな人も少なくないんだろうな。

ドラッグ中毒ではなくてドラッグストア中毒の話で、
1本芝居が書けないかな。セットが大変そうだけど。

もう10年近く前に書いた『庭』という脚本があります。
30分弱の短編で、今までキャストを変えて2回上演しました。
この『庭』に手を入れてもう一度上演したいと思って、
ここ何日か、古い脚本を眺めています。

最近、自分の書くものの欠点をすごく認識してます。
『カッター』でも、そうでした。あらためて思います。
こういうところがダメなんだなあ、という目で『庭』を見返すと、
その欠点は10年前から如実にあらわれている。
はー、この10年間おいら進歩してないねえ、と思いつつ、
全体的に書き改めてます。

自分の欠点とむりやり向き合う作業ではあるけど、
まあ、それはそれで楽しい。
それに、こうやって書き直してでも、また上演したいっていうのは、
自分はよほどこの脚本を気に入ってるのだろうと思うし。

ひとつのことをずっと続けていると、
たとえば5年前の自分とか10年前の自分とかを、
具体的に振り返ることができるのがありがたい。
あー、あの頃はこんなことに興味があって、こんな考え方をして、
でもって、こんな芝居を書いていたんだなあ、なんて。

『庭』、『黒い夢、白い夢』、『チューバ』という3本立てで、
短編集をやりたいんだけどねえ、なんて書いても、
今まわりにいる人たちはほんんど誰も知らないだろうなっていうくらい、
何年も前に書いた芝居。今なら、もっとよく書けると思うのですよ。

自分の欠陥というのは、その瞬間には全然わからなくて、
ずっと後になってから気がつく。
どうしてその瞬間に気づかないのだろう。

脚本の欠陥だけじゃなくて、すべてにおいて。
なぜ、ずっと後になって、「あ」と見えてくるのだろう。

過去に書いた芝居の脚本を見返しながら、
恥ずかしい思いをしたり、溜め息ついたり、うなったり。
まあ、それもまた人生の味わいでやんす。

いつかどこかで短編集の告知ができますように。










近況は、こうです。

「誰でもよかった」とネカフェで赤の他人を殺した人がいる。
新潟の事件にしても日大アメフト選手の事件にしても、
人間は本当はすごく狂暴で凶悪な動物なんだと今さら思います。

もちろん僕自身の体にも狂暴凶悪な血は流れているのだろうし、
誰にだって多かれ少なかれ流れてる血なのだろうし、
そのことを気づかせるために誰かが事件を起こすのかも知れません。

ホモサピエンスとネアンデルタール人はほぼ同時期に地上に出現し、
やがてネアンデルタール人は滅亡して、ホモサピエンスが生き残って、
今の現代人につながっている、というのが定説らしいけど、
最近の研究によると、すべての現代人の体の中には、
ネアンデルタール人のDNAが2%前後は混じっているそうです。

ネアンデルタール人はホモサピエンスよりも攻撃的で暴力的だったらしいから、
現代人の狂暴性も、もしかしたら、そのへんに由来するのかも。
あ、これはぼくの勝手な想像です、根も葉もないタワゴト。
ネアンデルタール人にしてみれば、いい迷惑。
ともかく、NHKの『人類誕生』、面白いッスよ、という話。

人間とは何なのか? 自分とは何なのか?
という疑問は、おそらく人間にだけ与えられた特権のようなもの。
猫は多分「猫って何だろう?」とは思わないだろうし、
キリンは多分「あたいらどうして首が長いわけ?」とは思わないだろうし、
モグラは多分「おいら、どうして掘ってばかりなんだ?」とは思わないだろう。

いや、もしかしたら、猫には猫の神様がいて、
キリンやモグラにもキリンの神様やモグラの神様がいて、
自分の存在理由を神に問うているのかもしれない。

だとしたら、神様は命というものを作るだけ作っておいて、
その存在理由をあいまいなままにして惑わせる、
なんかタチが悪いというか、なぜ「答え」を与えなかったのだろう、
そう思いませんか?

なんかへんなこと書いてますね、こんなこと書く気じゃなかった。
筆が、というか、キーボード叩く指が滑りました。
公演が終わって、やっと生活が落ち着いてきたなあというブログのはずでした。

いろいろ言われはしましたが、
『カッター』は、すごく「やりおおせたぜ」という感じがあって、
ぼくはすごくスッキリしています。なんというか、空が高い。
爽快な気分の毎日です。

ひさしぶりに仕事用の名刺を作ったのですが、
仕事名というか肩書きのところに、
「旅人」とか「野良猫鑑賞家」とか「行き当たりばったり」とか、
そんなの書いてみようかなと思った。まあ、書かなかったけど。
今の自分に最もふさわしい肩書きは何だろう。意外と難問。

でも、この気持ちのよさは何だろうな。
こんな感じの近況です。
次は、もっとちゃんと内容のあるブログ書きます。









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