2017-02

この幸せ

仕事の用事や役所に行く用事や故郷にメールする用事や、
あれこれたくさんあるのはわかってるけど、
病院仕事から帰ってきたら、まずは睡眠不足を解消する。
すまん、とりあえず眠らせてくれ。
今日は阿佐ヶ谷駅のエスカレーターで突っ立ったまま寝そうになったぜ。

てなわけで少し頭がスッキリしました。
10feea聴きながら部屋を片付けて、少し命が吹き返る。
へえ、39光年の彼方に生物がいそうな星が見つかったらしいね。
ナントカ星人は、今ごろ何してるんだろうな。
何でもいいから、信号を送ってくれ、おいらの寝ぼけた頭に。

とりあえず伝えたいのは、「ゆで卵を食べたい」ということ。
山ほど食べたい。まっ白なゆで卵。黙々と。次々と。
『夢みるように眠りたい』という映画の中で佐野史郎演じる探偵が、
なにかというとゆで卵を食べていた。というか、
ゆで卵しか食べていなかった。そう、あんな感じ。

あ、鈴木清順監督が亡くなったと今朝のニュースでいってた。
『ツイゴイネルワイゼン』よりも『陽炎座』のほうが好きだったけど、
ひとつ確かなことは、
ああいう映画を作る人はもうこの世に誰もいなくなったということ。
その事実を、いかにして受け止めるべきなのか?

とりあえず今、阿佐ヶ谷パール街を歩きながら、すれ違う人たちに、
「ゆで卵製造機はどこに売ってますか?」
「ゆで卵製造機が欲しいのです」
「ゆで卵製造機のこと何でもいいので教えてください」
と尋ねまくることから始めようか。ふむ。

あ、映画といえば、『ふきげんな過去』なかなかよかったです。
前田司郎の。小泉今日子の。二階堂ふみの。
で、ネットでこの映画のことをバカにしてる人が結構いて、
ああ、やれやれ……と思うよりも、なぜかムラムラとやる気が出ました。
とりあえず五反田団の芝居が観たい。

あとね、『砂の女』の映画が観たい。しかし調べてみたらDVDになってないらしい。
あちゃー。こういうもんかね。砂の女を岸田今日子が演じているのです。
脚本は安部公房自身。高円寺のドラマ館にないかな。
じつは先日、会員証作ったのです。古い映画があれこれあるから。

さて、いろいろ書きたいことはあるのですが(嘘です)、
昨夜、最初の通し稽古をしたら、上演時間が予定をオーバー。
少し脚本を手直し。いや、短くするのはいつも大歓迎。
少し長めに書く→それを短くして引き締める

ひとつ確かなことは、『うつろな重力』は、
自分でとても好きな芝居になりそうだということです。
そして、自分で好きな芝居をお客様に観ていただくというのは、
とてもとても楽しみなこと。

けなされても、バカにされても、なんとも思わない、
さあ、ともかく観てください、
胸張って、そう言える芝居があるという、この幸せ。






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今日も電気羊の夢を見ながら

「うつろな重力」の稽古は着々と進んでいます。
着々と、というのは、けっして「何の問題もなく、滞りなく、スイスイと」ではなく、
みんな悩み苦しみ戸惑い頭かかえて……という意味。
ちなみに、今回は役者として出演する僕自身も、そのうちのひとりです。
「ああ、これが役者の苦悩なんだね」などと初めて体験する感覚が
とても新鮮な毎日。正直「やってよかっ」と思っています。

それにしても、自分とは別の人間を演じるということは、
こんなにも大変なことなんだねえ、と思いながら、
頭の片隅で最近よく考えるのは、フィリップ・K・ディックの、
『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』という小説のことです。

映画『ブレードランナー』の原作本ですが、
遠い星の植民地からアンドロイド8体が反乱を起こして逃亡し、地球に侵入、
警察に雇われたハンターがそれを殺していくという物語。

このアンドロイドの造形が面白いのです。
見た目は人間とまったく同じなので、外見では見分けがつかない。
しかし、それだけではない。
アンドロイドには「作られた記憶」が埋め込まれている。
生まれてから今までのすべての記憶、それは「ひとりの人間としての記憶」。

つまり、あるアンドロイドに子供の頃のことや両親のことを質問すると、
ふつうの人間と同じように、それを思い出し、語ってくれる。
そのアンドロイドはそれが「作られた記憶」とは思ってない、
自分の本当の記憶だと信じている、そしてそれが根拠となって、
「自分は人間なのだ」と信じ込んでいる。

周囲の人間も、アンドロイドがふつうに昔話や家族の話をするので、
まさかアンドロイドだとは気づかない。
なかなか斬新なこの設定、これがじつはこの小説の悲劇の原因になります。

でもって、ふと考えてみれば、
役者が役を演じるというのも、じつはちょっとこれに似てる気がします。
役を役たらしめているのは、その脚本の中だけの話ではない、
その役の人間が生まれてから今まで生きてきたすべての時間を背負って、
その役者は舞台の上に立つわけです。

言い換えれば、別の人間の記憶、造形された記憶、
それをいかに精緻に思い描けるか?
そこに「役を演じる」ことの面白さがあるのだと思います。

物語には直接関係なくても、どんな家庭に生まれ、どんな家族に囲まれ、
どんな経験をして、どんな幸福や不幸を味わって、そしてそこにいるのか。
それを一から創造して、役者はそこに立つ。
そしてそれらの記憶、それらの時間が、今、新たな物語を生み出していく。
それが「芝居」という形になるわけです。

芝居そのものは、せいぜい1時間半か2時間ですが、
しかしそこにいる人間たちは、今まで生きてきた何十年かの時間を背負っている、
そのことを表現できるかどうかが、役者というものの快楽ではないか?
ディックの小説を思うたびに、そんなことを考えます。

ちなみにアンドロイドたちが反乱を起こした理由は、
外見的にも内面的にも人間とまったく同じ彼らが、
じつは人工物であるためにいつか寿命が来てストップしてしまう、
という事実を知ったこと。その残酷な事実が彼らを狂わせます。

役者もまた、最後の上演が終わり、2度とその役を演じることがなくなる時、
狂おしいほどの寂しさと虚しさを味わってほしい。
そう思うのは、作・演出としての僕のわがままですかね。

いやいや、この公演が終わったとき、自分がどう感じるか、
それも今から楽しみです。

そんなことを思いながら、本日も稽古。
初日は3月15日。チケットは絶賛発売中ですよ。







茫洋とした場所

「何か食べたいのだけど何を食べたいのか自分でもよくわからない」
という時の気分は、
「コンビニで明らかに一人分の食料を買ってる人を見ると、
『よかったらうちで一緒に映画でも見ませんか』と誘いたくなる」
という時の気分と、どこか似ている。

なんとなく茫洋とした感じ、つかみどころのない感じ、
ポツンとひとりで、何もない空間に放り出されたような感じ、
そんな感じ、そんな感じ、そんな感じ。

そんな感じになると、なんだかひどく「東京っぽいなあ」とも思う。
そうなのです、これ、東京っぽい感覚。そう思いませんか?

さて、ある劇団の名前を挙げて、
「今村さんが向かってる方向は、多分この劇団が向かってるのと、
同じ方向だと思うんです、だから絶対に見たほうがいいですよ」
と言われるのは、全然ありがたいことだし、うれしいと思います。

と同時に思うのは、「あ、ぼくは、どこかに向かって進んでるように見えるんだ」てこと。
それはちょっと不思議です。べつに本人は、
「どこかに向かってるわけではない、明確な方向や目的地があるわけではない」
と思っているからです。だから、そんなふうに言われたら、逆にその人に、
「あのー、ぼくは、どこに向かってるんでしょうか?」と聞きたくなる。
知ってたら、教えてください。

どこかの街角や駅前や交差点に立って世界を見ていると、
大勢の人たちが歩いたり走ったりしている。それはつまり、
そこにいる人間の数だけ、方向や目的地があるということでもある。

すごいな、方向や目的地というものは、この世に無限に存在するのか?
すごいな、そう考えると、すごいな。

いや、目の前の人の群れの中には、ひとりかふたりくらいは、
「方向も目的地も持たない人」がいるかもしれない。
それを見分ける方法はないのだろうか?

「あ、今のあの人、目的地ナシで歩いてる!」みたいにピンとくる方法。
ないのかな? いや、まあ、あったところで、べつにどうもしないけど。

でも、その方向も目的地も持たない人というのが、
もしかして、この僕だったら?
うーん、戦慄。

いかん、眠くなってきた。ソファで横になろう。
そして夜中に起きて脚本を書く。

ぼくたちは、なんと茫洋とした世界に生きているのだろう。





か、か、か、覚悟……

正月明けにカラ元気なブログ書いたきりだったなあと思い、
1月も終わりかけてる今夜、久しぶりにこのページ開きます。

テレビで「チョコレートには脳を若返らせる効果がある」という最新研究報告を見て、
毎日1枚ずつチョコレート食べている今日この頃。
まだ効果は出てないでしょうか?

さて、「うつろな重力」の稽古も熱が入ってきました。
何このタイトル?って思う人もいるようですが、
見終わった後に「なるほど」と思ってもらえたらいいなと思っています。

前のブログで「楽しみながら書いてる」みたいなこと書きましたが、
確かに今回は、自分で書いてて楽しい脚本。苦しいけど楽しい。
その楽しさが、なかなか役者さんに伝わらないのが悩みのタネですが、
それはこれからの問題。時間をかけて、じっくり取り組んでいきます。

ミゾミゾしてきました。
これは『カルテット』の中で満島ひかりが時々つぶやく言葉です。
ミゾミゾしてます。

満島ひかりといえば、『愛のむきだし』をテレビドラマとして放送するとか。
リメイクではなくて、映画をテレビ用に編集し直すみたいな?
見なきゃね、あー、なんか、この言葉新鮮。見なきゃね。

園子温監督の映画は『冷たい熱帯魚』も『ヒミズ』も『典子の食卓』も好きだけど、
ある種の覚悟を決めてエイヤッ!と一気に観ないといけないみたいな映画ばかり。
中でも『愛のむきだし』は、かなり一気呵成度の高い映画だけど、
あれを連続ドラマに編集し直すって、どういうことなんだろう?
毎週毎週エイヤッ!と覚悟しなから見ることになるのかな。

あと、近況としては自転車を買ったこと。
前の自転車は撤去されたきり戻ってこないので、
稽古も始まったことだし、新しいのを買うしかないな、と。
青空の色のさわやかな自転車ですが、
やたらとペダルが重くて、まるで拷問のような踏み心地。
どこに行くにも、覚悟がいります。
またもや覚悟。

ついでに、もうひとつ、最近はフィリップ・K・ディックが面白くて、
こうなったら全作品を読破してやろうと覚悟。
覚悟だらけの日々。

でも一番の覚悟は、「うつろな重力」を絶対に面白い芝居にしてやろう、
その覚悟。これだけはホンモノ。
ミゾミゾしてきました。




おめでとうございます

あけましておめでとうございます。
どんなお正月でしたか?
皆さんにとって、実りの多い1年になりますよう、
お祈りいたします。

年の初めだから何か目標みたいなものを考えようなんて、
人並みなことを思ったりもしますが、
とりあえずこの年末年始は3月公演の脚本のことで頭がいっぱい。

でも今回は楽しみながら書いています。
トントントンと調子よく好きな場面がつながっていく。
おおまかな全体像さえしっかりできていれば、
あとはリズムカルに書いていくのが一番だと思ってるので、
今回は書いてて気分がいいです。

ぜひぜひ観て欲しい芝居です。
どうかどうか3月を楽しみにしていてください。

今年は3月のあと、7月公演も決まっています。
今は、その次をどうするかを考え中。
これからは下北沢を明確な拠点として芝居やろうと、
あれこれプランを考えています。

ほかにも「今年こそは」というものを思い描いていますが、
たとえば20代の頃からの夢に、あらためて挑むこと。
これは、とても大切なこと。

それから、結婚して家庭を持つこと。
サラッと書いてますが、これも大事なこと。
まあ、結婚という形にこだわらなくても、
「伴侶」と呼ばれる人と、ぬくもりのある場所を持ちたい。
年の初めにふさわしい願いではありますまいか。
「伴侶」、なんていい言葉。

なんのかんの言いながら、きっとぼくは、
今の人生、今の暮らしを、大きく変えたいのだろうな。
結局そういうことなんだろうな。

いや、こんなこと書いていますが、
実際、何かが大きく変化する予感もあります。
ぜひぜひ良い方向に変わってくれますように。

正月の大学駅伝で母校の青学が3連覇して、
なんだかおだやかな気分になりました。
まさかそんなことで自分がいい気持ちになるなんて意外だけど、
でも、あんな形で母校が話題になるのは、
素直にうれしいものですね。

さて、夕食の時間、そして今日書いたところを読み返します。
それから、昼間は図書館に行ったので、
借りてきた本のチェック(笑)。

では、どちら様も楽しい3連休でありますように。

あ、『うつろな重力』は、3月15日から東中野RAFTです。
もうチケット発売中ですよ。








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Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表によるブログです。
前向きに更新します。

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