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2019-07

月曜日の昼間に書くブログ

朝5時に起きてドアを開くと、野良猫マチネが
「やっとお目覚めですか」みたいな感じで伸びをする。

早朝にドアの外で待ってると必ずモンプチをくれる家、ということが、
猫の頭の中で、どんなふうに記憶されているのだろう。

「夜が明けた」→「あのおっさんの部屋に行く」→「モンプチ食える」
ということが猫の前頭葉にどのように刻まれているのか。
いや、脳ではなく、体が覚えているのかね。
最近は、部屋の中にまで入ってきて、モンプチをむさぼる。

月日はあっという間に過ぎていくのに、
1日の時間はゆっくり流れます。
早起きのせいで午前中が、とくに長い。
今日は早朝から浴室のおおがかりな掃除をしました。

今回の選挙結果は、珍しく、なんだかイヤな感じがして、
それから、他のいろんなニュースも、なんだかイヤな出来事が多くて、
そしてTwitterで世間一般の人が無責任なことを勝手につぶやき、
それに対して著名人がいちいち謝ったり反論したりして、
でも結局は、そういう無責任発言が、あたかも「大衆の総意」みたいに誤解されて、
それが世の中を動かしたりしてる、
そんな世の中が、なんだか違和感だらけで、イヤな感じで、
世界がすごくおかしくなってるなあと感じる今日この頃。

名前を出さずに何を言ってもいいと思っている人が大勢いて、
その発言に敏感に過剰に反応してしまう人も大勢いて、
なんか、世の中はギクシャクしてる。

「NHKから国民を守る党」よりも、
「ネット社会から人間を守る党」が欲しい。
きっと、今、一番必要なのは、それではなかろうか。

とりあえず、そういうものから、なるべく目と耳をふさいで生きてる。
「なるべく」だけど。

以前みたいに、読んだ本のこと、観た映画のことなどいろいろ書きたいけど、
なんだかそういうものをネット上に言葉として残すことにも、
へんなうしろめたさがある。何だろうな、この感情。

とりあえず好きな作家が芥川賞を受賞したことは素直にうれしいし、
とりあえず面白かった小説が直木賞を逃したのは素直に残念。

どうやったら、なにものにも振り回されず、
「自分らしく」生きることができるのだろう。

いや、振り回されることも大切だし、自分の一部なのだけど。

どうせなら、まっとうに振り回されたいのだ。






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生活を愛す。

朝からブラブラ歩いて高円寺図書館へ。
ずっと読みたかったミステリーが偶然見つかって幸運でした。

先日、町田康のインタビューを読んでたら、
作家になる前に、図書館と自宅を毎日往復する日々が続いていたと話してて、
ああ、そうだよね、人はみんなそういう時期があるよね、
今まさにぼくは毎日必ずどこかの図書館に行って、
「あ」と思った本を借りてきて、そして明日はどこの図書館に行こうかなんて、
そんな生活。高円寺図書館まで徒歩ってのは、ちょうどいい運動だし。

昨夜、すごく久しぶりにピザを食べて、
イタリア人て毎日こんなうまいもん食べてるのかなんて感心していたら、
今朝はなんだかお腹がもたれていたので、それもあって歩いた。

この半年、いい加減な食事してるせいか、ベルトの穴ひとつ分、腹が軽くなって、
よしこのまま減量してやろうと思っていた矢先のピザ。油断大敵。

それにしても、このところずっと考えているのは、
ぼくは、というか、人間は、なぜ小説を読むのだろうか?ということ。
小説に何を求めているのだろう。
もし、この世から小説がなくなったら、一体どうなるのだろう。

ぼくなんかがいくら考えても埒が明かない問題なんだけど、
だからこそかえって、自分だけの答えを見つけ出したい。

あと、好きなものがあったら、自分は、なぜそれを好きなのか。
感動したものがあったら、自分は、なぜそれに感動したのか。

毎日ほとんど同じことを繰り返している日々ですが、
なんだかひどく濃密な時間が過ぎていく気がして、
生活を愛す。








「事件」から11年、「孤独の観察」から2年

すこし書き留めておきたいことがあります。

数日前のNHKの『事件の涙』というドキュメンタリー番組で、
2008年の秋葉原の無差別殺傷事件の犯人について取り上げていました。
なぜ今このタイミングで?というのには理由があります。

あの犯人は家族に恵まれず友人もいなくてネットのチャットにハマっていた。
そこで「犯行宣言」をして、誰かに止めて欲しかったのに、
結局ネット上の話し相手はだれも本気で彼を止めず、
その結果、彼は犯行に向かって暴走した。

……というのが、この事件の大雑把な流れです。
もちろんそこには、もっと複雑で理解できないいろんな要素があって、
そう簡単には語れないのですが。

犯行前に彼がネット上に書き込んだ自暴自棄な言葉がたくさんあって、
それは事件当時、いろんなところで取り上げられていました。

それらを元にして、ぼくは『孤独の観察』という芝居の脚本を書き、
2017年に上演しました。
脚本の中には、あの犯人がネット上に残した言葉から引用したセリフもあります。

犯人が残した言葉は、ぼくにはかなりのインパクトというか、
とてもダイレクトな言葉が並んでいて、とても衝撃的でした。
『孤独の観察』という芝居は、その感情がもとにあって書いたものです。

そして、数日前の『事件の涙』です。
番組には、秋葉原で大怪我を負ったひとりの男性が登場します。

彼は獄中の犯人と手紙をやりとりしていました。
彼の犯行の動機や、その後の感情の変化を知りたくて、
とてもストレートに手紙を書いていたのです。

ところが、ある時期から犯人からの返事が来なくなりました。
その人は、とてももどかしい気持ちで、一方的に手紙を送ったのですが、
犯人からの返信は途切れたままです。

そして、思いがけないことが起こりました。
犯人が最近書いた「詩」が発表されたのです。

ラップ調で書かれた彼の「詩」は、ある意味でとてもショッキングでした。
なぜなら、そこに書かれた言葉は、
彼が犯行前にネットに書き連ねていた自暴自棄な言葉と
ほとんど変わっていなかったからです。

反省も後悔も謝罪もなく、ただひたすら、
「あのとき」に抱いていたヤケッパチな言葉を繰り返すだけ。

番組では、あれから11年が過ぎたが、彼はほとんど何も変わっていないのか?
というような疑問が投げかけられていました。

神戸児童殺傷事件の少年Aが書いた『絶歌』を連想しました。
あの本にも、今回の「詩」にも、どちらにも、
事件から何年もの時間が流れた、という感じがほとんど無い。
事件を起こしたときのままで時間が止まってる、そんな印象です。

時間には浄化作用がある、なんてことも言われるけど、
「そんなものは無いのではないか?」と思ってしまいます。

いや、べつに犯人に反省や謝罪を求めてるわけではありません。

ただ、「ああ、これが現実なんだろうか」と思います。

あの犯人が抱いた孤独(という言葉だけでは説明できない複雑な感情ですが)は、
時間の流れの中で簡単に癒されるものではない。

そんなことを、あらためて思います。

秋葉原のあの事件は、ぼくが芝居を始めてから間もなくして起こり、
あの現場のすぐ近くで渡辺大介君がバイトしていたこともあって、
ずっと頭の中に引っかかっていました。

それで『孤独の観察』という芝居を書いたのですが、
今また、犯人が発表した「詩」を読んで、
いろんなことを考えています。






なんていうか、怖がらずに生きてる感じ

ここ数日はあまり収穫がなかったのだけど、
今日は久しぶりに自分で納得できる仕事ができて良い気分。

だから散歩も久しぶりのコンコ堂。
そして前回書いた釣り堀もちょっとのぞいてきました。

このブログ、最近はノーチラスのHPに「間借り」してるみたいな気分がしてきて、
なんだか居心地が悪いのですが、まあ、気にせずに書こう。

毎日毎日、仕事のほかに書きたいことを書いて、やりたいことをやって、
編集者さんにむりやり読んでもらったり(笑)、
今まで読んだことのなかった作家や書き手の作品をあれこれ読んだり、
新しい作家さんを覚えて、あちこちの図書館を走り回って本を集めたり、
なんだかんだで自分らしく生活を楽しんでいます。

睡眠時間が短くなって、朝は5時に起きるのですが、
その時間にはドアの外にマチネが待っていて、朝のモンプチを食べていく。

以前は、ブログにもいろんなこと書いてやれーと意欲的だったけど、
どうも近頃、ブログとかツイッターとか、全然開かなくなって、
いや、本当のことを言えば、世間の多くの人たちがネットというものを、
自分の中に溜まったゴミを捨てるゴミ箱みたいに使ってるのがどうにもイヤで。

よく考えてみたら、ぼくのまわりにいる人たちのほとんどは、
ブログもツイッターもやってなくて、それでもふつうに生きてるわけで、
なんだか、そういうものと距離を置いてみると、
あらためて自由に呼吸できるような気がしています。

このブログも、これ書き終わったら、
次に書くまで開かないだろうし。

何ものにも縛られないせいか、体もすこし軽くなりました。
怖いもの恐ろしいものが、すごく減ったような気がします。
今夜は良い風が吹いてます。







阿佐ヶ谷で金魚を釣る

阿佐ヶ谷には釣り堀があります。
目立たない場所にひっそりとあるので、つい見逃しがちですが、
ときどき散歩のときに前を通って、釣り人を眺めたりします。

昨夜のNHKのドキュメント72時間は、この釣り堀の3日間でした。
金魚の釣り堀なのですが、いつもけっこう釣り人がいます。
どんな人たちなんだろうと思っていたら、
NHKのおかげで、なんとなく伝わってきました。

仕事の休みの日や、仕事中の休憩時間に、
釣り糸を垂れてじっと水面を見ている人たち。
ふだんは会話する時間がないので、休日になると金魚釣りに来て、
そこでふたりで釣り糸を垂らしながら会話する夫婦。
ここにいると何もかも忘れられる、という保育士。
海洋生物学者を目指す小学生は、
友達はみんなゲームに夢中だから、遊び相手がいないとか。

毎日のように来る人もいれば、
初めて釣りをするという人もいる。
なんというか、時間が止まったような空間です。

とても古い釣り堀だそうですが、きっとそこは昔から、
人々の生活に、なくてはならない場所なのでしょう。

ぼくは釣りはやったことありませんが、
塀の外から釣り人たちを眺めているのは、なかなか良いものです。

阿佐ヶ谷の片隅にある釣り堀のことなど、全然知らない人も多いはず。
その一方で、この場所がとても大切な人たちも大勢いる。
この先、阿佐ヶ谷の街がどんなに変わっても、
その釣り堀はずっと変わらないのだと思います。

やっと風邪が治って、元気になりました。










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プロフィール

TheaterNautilus

Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表・今村幸市によるブログです。
年に2~3回、オリジナルの脚本による芝居を上演しています。
次回公演は2018年10月です。
http://theaternautilus.
web.fc2.com/index.html

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