2017-11

Twitterという曖昧なシステムのこと

本番まで2週間を切り、稽古場がピリピリしてきました。
役者さんたちが自己主張をするようになり、
演技や稽古について自分の思いを口にし始める。

あ、稽古場の空気が変わった、と思う瞬間は、とてもいいものです。
役者さんたちの素直な熱意がうまくぶつかり合うようになり、
毎回この2週間くらいで芝居が一気に「芝居」になっていく。
こちらも気が抜けなくて、1回1回の稽古がすごく疲れます。
でもその疲労感が「手ごたえ」なんだとも思います。

さて、そんなわけで今回の『月はゆっくり歩く』です。
この芝居にはTwitterが重要なアイテムとして登場します。
なので稽古中もTwitterのことをよく考えます。
数年前には存在しなかったこのシステムが、
今までに無かった、新しい「人とのつながり、出会い方」を生んだ。
それは一体どういうことなんだろう?

そんなこと思っているときに起こったのが座間の事件です。
あの事件でもTwitterが重大な役割を果たしたようです。
というか、Twitterというものが存在しなければ起こらなかった事件、
そうも言えると思います。

わずか数十文字の文章が、時間と空間を超えて、
本来は出会うはずのなかった人と人をつなぐ。
何が嘘で何が本当かが曖昧なままで、
なんとなく「出会った」気分になってしまう。

曖昧、すごくボンヤリした人間関係しか生まないはずなのに、
なぜか、そこに強固な何かがあるかのように勘違いしてしまう。
Twitterというのは、そういう意味では、
いろいろな「勘違いを生み出す装置」のような気がします。

……というのは、じつは古い考え方なんだろうか。
それは、まだネットさえもなかった時代を知っている人間の気持ちであり、
生まれた時からネットの存在が当たり前の世代の人たちにすれば、
人と人との出会いとは、もともとが曖昧で不確かなものであり、
多かれ少なかれ勘違いや思い込みを前提としたものである、
ということになるのかもしれない。

たとえば、座間の事件のことを考えてみても、
犯人と被害者との間でTwitterで交わされた
「死」とか「自殺」といった言葉にこめられた意味や思いは
おそらく全然違ったはず。

その曖昧な誤差を考えないで実際に出会ってしまい、
その誤差に気づいたときには、もう遅かった……
ということなのかもしれません。

あるいは、Twitter上で言葉だけでやりとりしてる時、
すでに「出会っている」と思っている。
実際は、その時点ではまだ「出会い」ではなく、
言葉という粉飾のシステムを発動しているだけなのに。

そして、生身の人間と人間とが出会ったとき、
初めて本当の「出会い」が始まるのであり、
言葉以外の多くの情報をやりとりすることで、
初めて目の前の他人を知ることになるのに、
Twitter上のやりとりだけで相手を「知った」ような気分になる。

なんてことを考えていたら、テレビでどこかの大学の先生が、
Twitterでは「いろいろな人の意見や考えを知ることができる」気がするが、
じつは、「自分に都合のいい意見や考えだけを選別している」のだと、
話していました。ああ、なるほど、それはあるかも知れない。

不特定多数の人とつながることができる、
それがTwitterのすばらしさだなんて思っているけど、
じつは誰もが無意識に、「自分にとって都合のいい人、
自分を肯定してくれる人、気持ちのいい人」だけを選別している。
そういうことかもしれません。

だからTwitterは「楽しい」「心地よい」。
こんなことを書くのはとても不謹慎でよくないことですが、
それをわかっていて、あえて書けば、
座間の事件の被害者の人たちは、
犯人との間で「死」や「自殺」についてやりとりしてる時、
「こういうことを本気で話せる人がいることの心地よさ」を感じていた、
そんな気もします。だからハマッていったのだと。

そんな疑似的な心地よさを生み出す、という意味で、
Twitterとは、やはりどこか空恐ろしいシステムだと思います。

あ、べつに、Twitter批判をしているわけではないです。
ただ、Twitterというものが演出している人間同士の「出会い方」の、
その曖昧さは、やはりどこか放っておけないのだ、
という気がします。とても。

Twitterが重要なアイテムになる『月はゆっくり歩く』の上演を前に、
とても大変な事件が起こってしまい、
それもまたTwitterが大きくからんでいる。
あらためて、いろいろなことを考えながら稽古しています。

初日は11月23日です。



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何だってくれてやる

毎日の病院仕事は本当に忙しくて濃厚で、
クタクタになって電車でうとうとしながら帰宅すると、
今度は原稿仕事の締め切りがあって、
それを気にしながら脚本の手直しや稽古計画を考えて、
いつも何かでビッッシリ埋められている日常ですが、
それがとてもいとしく思えます。
ああ、今、生活してるなあ、という実感。

昼休みにはほとんどの人が病院の食堂に行くのですが、
昼休みくらいひとりになりたくて、吹きっさらしのテラスでパンをかじる。
スズメが近づいてくるのでパンくずをあげていると、
『火の鳥』鳳凰編の我王のような気分です(笑)。

我王といえば、なんとなく坂口安吾の『夜長姫と耳男』を思い出します。
耳男が、対戦相手のふたりの仏師を迎えるところとか。
いや、そもそも我王と耳男には、なんだか似てるところがあります。
何にしても、あれくらい無心になって何かに打ち込むことができれば、
きっとすごく幸せなんだろうな。無心になりたい。

あと、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に出てくるお父さん、
あの人も同じタイプだな、きっと。ああいう人間に憧れます。

どうすれば無心になれるのだろう、知ってる人がいたら教えてください。
一度でいいから食べることも寝ることも忘れて、
物欲も恋愛も忘れて、自分の過去や未来も忘れて、
もうひたすら何かに打ち込んでみたい、
ずっとそう思って生きてきたけど、どういうわけか出来ない。
俗物なんですかね、いつも何かに引きづられている。

いや、芝居は、ぼくを忘我の境地にしてくれます、
というか、そうならないとやれないことだと思います。
でも、きっと全然足りない、何もかも忘れて一心不乱になりたい、
そう思いながら願いながら、死ぬまでこんな気分でいるんだろうな。

あー、だめだだめだ、おれは俗物だ。
我王よ、耳男よ、おれはどうしたらいいんだ?
いっそのこと仏像でも彫ってみればいいんだろうかね。

そんな逡巡の中で、着々と稽古が進んでいます。
『月はゆっくり歩く』。今夜の月は、かなりいい月です。
さっき月を見上げながら、芝居の中のあるセリフをつぶやいてみた。
そんな気分になる芝居です、そんな気分になる月です。

役に、少しずつ息が吹き込まれてきました。

この芝居のためなら、何だってくれてやる。
毎回そんな気分で作っています。
そして今回も、何だってくれてやる、何なら命だって、どうぞ。
そんな気分で作っています。

何だってくれてやります。















モノクロームの中の小さな赤

ひとり柿食って11月を待っている、夜

これは種田山頭火ふうにお読みください(笑)。
自由律俳句です。ははは。

『ブレードランナー』の続編公開が近づき、
久しぶりに映画でわくわくしてるなあオレと思いながらも、
11月公演が終わるまでは見に行けない無念。
この1年くらい早川からディックの新装本が着々と刊行されているけど、
あ、そうか、この映画の公開に合わせた戦略だったのかと、
今さら気がつきました。まあ、ありがたいですけどね。

でも、確かに「未来」というものは、
ディックやバラードの小説みたいなディストピアに向かって
確実に進んでいってるような気もするし、
あ、そういえばオーウェルの『1984年』が再びブームになってるとか。
そうだ、これも早川文庫が新装版を出してたっけ。

核戦争の不安が、自分が生きてるうちにこれほどナマナマしく、
リアルに感じられるようになるなんて想像もしていなかった。
少なくとも第二次世界大戦を経験した人が生きてるうちは、
第三次世界大戦なんて起こるわけがないと思っていたけど、
考えてみれば、何の根拠もない話です。

AIが将棋やチェスで人間を負かすたびにニュースになるけど、
これもそのうち当たり前のことになってしまうのかな。
どう考えても、AIの進歩の速度ほうが、人間の進化の速度よりも
断然早いわけだし。だから、こうなるのは当然だし。

でも誰かが言っていたように、
AIはあくまでも何兆もの数のパターンを読んでいるだけであり、
けっしてチェスや将棋を「ゲームとして楽しんでいる」わけではない。
人間は勝てばうれしい、負ければくやしい、という感情が生まれるけど、
AIには「あー、将棋っておもしれーなあ」という快感は無いわけで、
やつらはあくまでも世界を数式やパターンに置き換えているだけで、
ゲームを楽しむ感情は無い。

映画『ブレードランナー』で描かれた人間とレプリカントの戦いも、
そのへんが、きっと関係してるのだろうけど、
(原作が描いていたのは、また別のものですよね)
まあ、それはそれで、新たな問題を生むのだろうけど、
結果的にそれがディストピアを生まなければいいなあとは思います。
難しいだろうけど。はかない夢かもしれないけど。

なんてなことをボンヤリ考えながら、日常は11月公演に向かって、
鮮やかに滑り込んでいきます。

気温が少しずつ下がってくると、
世の中の色彩というものが少しずつモノクロームに近づく。
テレビのカラー調整を間違ったような風景の中で、
2番目の月が、鮮やかな色を投げている気がします。

稽古場では、登場人物たちが、少しずつ、
「ひとりの、生きている人間」に向かって成長しています。
ああ、この感覚が、たまらなくいいと思います。

初日まであと1か月。
みんなで「その夜」を迎えるのを楽しみにしています。







静物画なんて描いたことない

電車を降りて西友に寄ったら、
なんだか柿がうまそうに見えて、バナナにも惹かれて、
思いきって柿とバナナを買うことにして
なんだか、これから静物画を描く画家みたいだねと思っていたら、
店内ではバフィセントメリーの『サークルゲーム』が流れてる。
高校時代に観た映画『いちご白書』の主題歌。
柿とバナナ、おまけにいちご。とてもフルーティな夜です(笑)。

ニュースに飽きたのでジム・ジャームッシュの
『パーマネントバケーション』を見ながら夕食。
『いちご白書』はコロンビア大学(だっけ?)での学戦紛争を描いた映画だったけど、
あの学園紛争に参加して暴れ回っていた人々の
その子供だか孫だかが、『パーマネントバケーション』の冒頭の、
ヘンなダンスを踊る青年になるのだなあと思いながら食事をする。

最近はジム・ジャームッシュがひそかなマイブームです。
ずっと前に観た作品を順番に見返しています。
『コーヒー&シガレッツ』や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も好きだけど、
ちっとも評価されていない『ナイト・オン・ザ・プラネット』も好きです。
まあ、評価されないのはわかるけど。

ときどき無性に見返したくなるジム・ジャームッシュの映画。
ときどき無性に読み返したくなるレイモンド・カーバーの小説。
このふたつは全然似てないけど、でも、これらに再会したくなる時、
ぼくは多分「余計なものを捨てたがっている時期」なのです。

身軽になりたい、シンプルになりたい、単純に生きたい。
そんな時期なんでしょうかね。

稽古中の『月はゆっくり歩く』も、あまりゴテゴテしたくない、
すっきり、あっさり、そんな芝居にしたい。
ああ、そうか、そんな潜在的願望があるんだろうか。

でも、今度の芝居は、なんだか作っていて楽しい。
ちょっといつもとは違う楽しさ。愉快。
この感じが芝居にうまく反映されればいいんだけどな。

そんなこと考えながら、柿を食べる。
秋のかたまりを食べてるような感じ。
あ、明日は早番です。





ソワレは猫の名前

人手不足のために毎日仕事が忙しくて、
帰宅するとしばらくは何もしないでボンヤリ寝転ぶ時間が欲しい。
昨夜はそのままソファで眠ってしまい、体が痛い朝。

そういえば深夜に地震があったなあと思ったら、
不安定に積み上げてあった本が崩れていて、
安部公房の『燃えつきた地図』が床に転がってました。
これ、こないだ読みたくて、でも部屋の中で発見できなくて、
わざわざ本屋で新しいのを買ったのに、地震でポロンと。
まるで「ほら、新しいの買わんでも、ここにあるやんけ」みたいな。

ポロンと落ちてる文庫本を見て、
エラリー・クイーンの『フランス白粉の謎』のラストシーンを
なぜか思い出しました(笑)。きっと、こんな感じ。
やれやれ、日常生活はこんなふうにして進んでいきます。

そんな毎日の中での小さな癒しは、ソワレ。
猫の名前です、勝手につけた名前。野良猫ソワレ。
すごくなついてくれて、道で会えば「モンプチくれ」と近づいてくる。
ソワレはきっと、ぼくのことを「モンプチ」と呼んでるはず。

いつも出会う場所が決まっていて、そこを通って帰るのが楽しみです。
近所に住んでる役者木村香織もソワレと仲がよくて、
ソワレは毎日どちらからかゴハンをもらう生活。いいなー。
べつべつのふたりの人間からゴハンをもらう生活。憧れる。
たまに木村香織さんとふたりでソワレの前に現れると、
「あれ、なんでこのふたりが一緒におるんや?」みたいに混乱するソワレ。
不倫がバレた芸能人て、こんな感じ?
まあ、ソワレは芸能人みたいにヘタな言い訳はしませんが。
ソワレのゴハン代を稼ぐためにも毎日がんばって働かにゃあね。

さて、『月はゆっくり歩く』の稽古が始まっています。
とても良い座組み。みんなイキイキしていて、
おしゃべりが絶えない、いい意味で。こういうの、好きです。
心地よいカオス。何か良いものが生まれてきそうな気配。
キャスト7人のうち、初参加6人という構成ですが、
初参加とは思えない濃厚な空気が漂っています。
はい、脚本がんばって最後まで仕上げます。

今回は「見えるはずのないものが見える人々」の物語。
設定が、ややファンタジック? 
どちらかといえばリアリティ追求型のノーチラスとしては異色かも。
でも、かつてはけっこうファンタジックな設定の話もやっていた。
『月光インク』とかね。あとは……『月光インク』しか思いつかないけど。
あ、『金の夜・銀の森』も、そうかな?

「見えるはずのないもの」とは、「もうひとつの月」です。
火星にはふたつの衛星がありますが、
地球の夜空に、もしも2番目の月が見えていたら?
物語がどこに着地するのか、ぜひドキドキしながらご覧ください。

初日は11月23日、祝日です。
今回は11回も上演するので、選択肢は多いです。
ただし、いつもより席数が少ないので、ご予約はお早目に。

できることならソワレにも見てほしい。猫割引で。

これから寒くなるけど、ソワレは、そして野良猫、野良犬たちは、
どこでどうやって冬を過ごすのか? それが気がかり。













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