2015-10

ぼくがたったひとつ怖いのは「孤独」

週末稽古の朝、いつもなら稽古の時間が待ち遠しい。
早く稽古が始まればいいのにと、
開始時間より早めに稽古場に行ったりします。

しかし、今朝は少し違います。
いつもとは異なる、よどんだ気持ち。

いや、稽古が待ち遠しいのは、いつもと同じ。
今日は夜間なので18時開始なのだけど、
13時から始めて欲しいくらいの気持ちです。

しかし、気持ちは何かしら重くて、濁っています。

理由はよくわかってます。わかり過ぎるくらい、わかってます。
ごく私的な出来事、日常生活の中の、ある出来事、
ひとつの人間関係についての、ある出来事が、
重く重く重く、のしかかっています。

それはとても私的なことだから、ここには書きません。
ただ、こんなときに思うのは、
いくら芝居を作りたい、ずっと稽古場にいたい、と思っていても、
ひとりの人間として日常生活が足を引っ張ってくる。

芝居は芝居、日常生活は日常生活、頭ではそう思っていても、
日常生活のモヤモヤは、容赦なく、芝居の領域を侵してくる。
そんな当たり前のことに、愕然としています。

芝居というものは、あくまでも人間の内面を探る作業でもあるから、
自分の日常の感情生活が影響するのは、当然といえば当然。

しかし、こうやって、稽古している自分と、日常を生きている自分とを、
完全に切り離すことができないという現実に直面すると、
ああ、人間てやっかいだなあと思ってしまいます。

いや、そうではなくて、そうやって日常生活を生きて、
いろんなことに喜んだり、苦しんだり、悩んだり、悲しんだりしている、
そんな等身大のままで稽古場に行けばいいのだ、
演出家はなにもスーパーマンである必要はない、
完璧な人間でいる必要はない、
「人間臭く、みっともなく、くだらなく、どうしようもないダメ人間は
芝居を作ってはならない」という決まりがあるわけでもない。
いや、そんな等身大の感情を抱えてこそ、
本当に人間らしい芝居を作ることができるというものだ。

そう自分に言い聞かせて、なんとか自分を鼓舞しています。

しかし、現実はなかなかうまくいかなくて、
自分が生きているということ、心というものが存在すること、
そういう当然のことが、今、死ぬほど厄介だ。
安楽死したいくらい。ほんと安楽死でなきゃいやだけど。

「生きている」ということ、もう、そのこと自体が、
芝居を作るための最大の武器なのだ。

何も思わない、感情のヒダのない、ただツルンと生きている、
そんな人間には芝居なんて作れやしないのだ、なんて、
強がりをほざいたりもします。

そうだ、この重みは、この苦しみは、このモヤモヤは、
この混迷、この行き場の無さ、この絶望と落胆は、
まさに生きている証拠じゃないか。

この年齢になって、今さらこんなことで自分を憎み、疑い、
いつ死んでもいいと思いきってしまえるなんて、
それはある意味、幸せなことじゃないか。

そんなふうに自分に言い聞かせている自分。

ぼくが、いつかどこかで、のたれ死んでいたとしても、
ああ、かわいそうに、とは思わないでください。

それはきっと、生きるということを満喫した人間の、
燃え尽きた抜け殻なのかもしれません。
いや、きっとそうです。

死に顔をよく見たら、うっすら笑ってるかもしれないです。
「ああ、生きた生きた、存分に生きた」そんな笑顔かもしれないです。
いや、そうだといいなあ、と思います。

以上。




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