2015-12

「あの本」と「あの芸人」のこと

なんとなく文字にして残しておきたいことがあって、
朝もはよからブログです。

某お笑い芸人の窃盗事件が話題になってます。
その芸人に対するバッシングがかなり激しい。
相方への同情も含めて、彼はまさに極悪人扱い。
いや、もちろん、彼が犯した罪は罪だし、
悪いことは悪い、それは間違いないです。

でも、何だろう、このへんな違和感、
この事件に対する世間の反応が醸し出す空気の、
生理的にいやーな感じ、何だろう、気持ち悪いな。

で、ふと気づいたことがあります。
この生理的にいやーな感じというのは、あれに似てる。
あれというのは、少年Aの『絶歌』が出版されたときの、
あのバッシングの激しさ。あの時も同じものを感じた。

何だろう、このふたつの、いやーな感じ。
うまく書けないけど、
「誰がどう考えても明らかに悪いことをやってしまった人間に対して、
絶対に悪いことしていない、つまり絶対的正義の立場にいる人間が、
ここぞとばかりに正義感や倫理をふりかざして
その「悪人」を一方的にたたきのめしてる図」
を目の当たりにしている、それが醸し出す、いやーな感じ。

『絶歌』のときは、「絶対に読まない」とヒステリックに叫ぶ人が続出した。
で、その「絶対に読まない」宣言は、そのままそれを宣言した人間の、
「私はこの人が犯した悪事を今も許していない」という、
いってみれば「私は正義の人なのだ」宣言にもなっていた。
あるいは「私は良識ある人間なのだ、倫理の人なのだ」宣言でもあった。
『絶歌』を、あるいは少年Aを叩くことにより、
「自分はそれを叩ける立場にいる人間なのだ」と主張しているような、
ある種の「上から目線」、それがすごく、いやーな感じだった。

で、某芸人の事件に対するバッシングにも似たようなものを感じます。
某芸人の事件の場合は「相方がかわいそう」という理論。
まじめにやってる相方の立場を思いやることで、
「罪を犯した人間が、善良な人間の人生を歪めてしまうのを許さない」
と主張しているのだろうけど、それもやっぱり、その主張をすることで、
「自分もその相方と同じ、善良な人間の側にいるんだよね」と言っている、
やはりこれも、ある種の「上から目線」。

両方とも、ともかく頭ごなしに「ダメなものはダメ!」と断じているのが、
どうにもこうにもヒステリックで異常な感じがして、すごい違和感。
いや、もちろん「ダメなものはダメ」なのです、それは間違いないのだけど、
それを断じてる人間の「おれは正義の人だ、何も悪いことしてないぜ」
というしたり顔が透けて見えてしまう。

悪というものに対して真摯な目を向けることもせず、
「なぜそれが起こったのか?」を思うこともせず、
「こいつらは自分とは異質な人間、異分子だ」とばかりに否定し、断罪し、
社会から切り捨てようとする、まるで魔女狩りのように。

あるいは、今、欧米諸国で問題になっている移民問題、
自国に移民が入ってくることに対して、なんとかして排斥しようとする人々、
その気持ちもわかるけど、「異質なものは排斥する」という単純な理論には、
逆に非人間的なものを感じます。

あ、そこなのかな、もしかしたら、この違和感。
『絶歌』騒動のときは、『絶歌』を叩く人に対して、
むしろ「人間的じゃない」と感じた。ただやみくもに排斥しようとしてるだけ。
叩いておけば間違いない、みたいな。

で、某芸人の事件の場合も、「相方に同情しておけば間違いない」
「うん、おれ、いい人」みたいな感じ。
どちらも人間的じゃない、その違和感。

『絶歌』が出たとき、精神科医の香山リカさんが
とてもまともなことを言ってました。
「世間がこの本の出版を叩くのが理解できない、
読んでみるしかないと思い、読んでみた」と。
で、「世間が言うような自己弁護や自己陶酔は
一切感じなかった。むしろ、自分には『感情がない』
ということと真剣に向き合っているように感じた」。
香山リカさんには、仕事で1度だけ取材したことがありますが
とても聡明なお医者さんという印象の人でした。
で、上記のコメントも、とてもまともだと思いました。

じつは、今回の某芸人の事件についても、
ある心理学者(?)が、こんなことを書いています。
世間の激しいバッシングに対して疑問を投げかけた上で、
「彼の不幸な生い立ちをふまえた上で、
性依存症、窃盗依存症の可能性を考えてみる必要がある」。
ぼくはこれを読んで、ちょっと安心しました。
この事件に対して初めてまともなコメントに接したような気がしました。

べつに、「精神科医や心理学者の言うことはさすがだ」
なんて言ってるわけではないです、そんな単純なことではないです。

ただ、「正義の立場にいる人間」が「罪を犯した人間」を徹底的に上から攻撃し、
あわよくば排斥しようとする姿勢よりは、
はるかに人間的なものを感じたのです。

『絶歌』を排斥し、某芸人を排斥しようとする社会は、
もしかしたら「良識」だとか「正しい倫理観」に満ちた世界かもしれない。
でも、それは「一見そう見えるだけ」であって、
ひどく非人間的な、「自分さえ良ければそれでいい」という、
「たまたま善良なほうの立場にいる人間の天下」みたいな、
なんだか、いやーな感じ、そんなものが充満してるのです。

善も悪も、その社会が生み出したものであり、
悪に対してきちんと向き合わなければ、
その社会は、また同じ悪を生み出し続けるでしょう。
ただ排斥し、見えないところへ追いやればそれで済む、
というものではない。
「自分は悪人じゃなくてよかった」と安心してればいい、
というものではない。そう思います。

『絶歌』は、メディアのいろいろなところで叩かれ、
多くの著名人が「絶対に読まない」と主張したにもかかわらず、
最終的にはベストセラーになったそうですね。

ぼくは、むしろそれでよかったと思います。
それが社会のあるべき姿だと思います。
少年Aを排斥するのではなく、
「あの事件がなぜ起こったのか?」を
今になってあらためて問い直す姿勢。
あの本を読んだ人が大勢いたのだとしたら、
ぼくはむしろ、そのほうが「健全な社会だな」と感じます。

そして今、某芸人の不幸な家庭環境などが
少しずつ情報として露出してきていますが、
それがただ「かわいそうな生い立ちだから」みたいな扱われ方ではなく、
もっと大きな、人間の在り方としての問いかけの
きっかけになればいいなと思います。

長くなりましたが、
書き留めておこうと思って書きました。










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