2017-04

たくさんの「ひとり」

ドアの外にキャットフードを置くようになり、
ときどき深夜なんかに野良猫が食べてる気配がします。

いつも敵意と警戒心の交じった顔をしてる野良猫、
人の気配がしただけで足早に逃げていくその猫が、
キャットフードを全部食べてくれると、すごくホッとする。
買い物リストにキャットフードが増えた今日この頃です。

7月公演の脚本を書いていて、
毎日いろんなメモやなぐり書きが増えていきます。

大きなスケッチブックを使ってわしわし書きまくるのですが、
全然つながりのない断片が、少しずつつながって物語になっていく、
昨日までこの世に存在しなかった物語が、今日は存在してる、
そのささやかな幸せというか充実感というか……
どんな言葉で説明すればいいのだろう。

昨夜とその前の夜と、なぜか眠れなくて、
夜中ずっと安倍公房の『人間そっくり』を読んでいたのだけど、
火星人なのか、自分を火星人と思い込んでる狂人なのか、
それとも火星人のフリして何かを企んでる地球人なのかエトセトラ、
なんかもう、わけのわからん相手と会話する主人公の苦悩が面白くて、
ますます眠れなくなる。その延々と続く螺旋の会話が快感です。

なぜ芝居をやるのだろう、なぜ芝居を面白いと思うのだろう、
公演を重ねるごとに、その単純素朴な疑問が深まっていきます。
ノーチラスの芝居は会話劇なので、
「会話」というものを磨く必要がある、それはわかる。
「会話」というものを成立させるためには人間の心理を理解する必要がある、
それもわかる。理屈ではわかる。わかっているのです。

でも、だからといって、たとえばTwitterでどこかの団体が、
「人間の心の働きはすべて説明できる」なんてつぶやいてるのを見ると、
どうしてもゾッとする、悪寒が走る、生理的にムリだと感じる。

たとえば、もしも人間同士が「相手の心をすべて解き明かしたい」と思い始めたら、
いや、そんな極端な話でなくてもいい、
役者というものや演技というものが、
「人間の心の働きはすべて解明できる」なんて考え方の上に成立するものなら、
演劇というものはひどく非人間的なもの、疑心暗鬼と自己欺瞞の世界、
そんなものになってしまう、あー、なんかうまく説明できないな。

少なくとも、人間が人間に求めているのは、そんなことじゃない。
いや百歩譲って、役者がひとつの「技術」としてそれを考えるのなら、
そういう考え方もあるのかもしれない。

しかし人間同士の関わり合いが、腹の探り合い、本心の探り合い、
本心を暴きさえすればそれでいい、みたいなことになるのは、
なんだか寒々としてしまう。それが続けば、人間はみんな、
いずれは「ひとり」になるだろう。心を閉じてしまうだろう。

たまたまTwitterで見たひとつの言葉から、
そんなことを思いました。そんなことを思いながら、
次の脚本を書いています。

最近、他人と関わり、会話することに、ちょっと臆病になっています。
会話が会話になってない、というのか、
無駄に緊張する、というのか、
自分が思ってるのとは、まったく異なる受け止め方をされて、
「え? いや、そんなことを言いたいんじゃないんだけどな…」

きっと自分も同じことをしているのだろう、
同じことをして他人を戸惑わせているのだろう、
会話不成立、もがいています。

自分の心を解明なんてされたくない。
でも逆に、僕自身は他人の心をもっと解明する努力をしたほうが
いいのでしょう、きっと。

自分のエゴイズムを見透かされたり、
相手の探るような目にいら立ったり、
結局は人間の関係は誤解の上に成り立ってると痛感したり。

しかしそれでも次の稽古は始まる。
脚本を書かなければならない。

たくさんの「ひとり」が集まったこの世界で、
一体なにができるのだろう。









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