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2019-04

最後の3分の1は一気に読んで眠い朝です

眠い。今日のおいらは眠い。眠いのにブログ書く。
町田康『告白』、最後の3分の1くらいは他の本に寄り道しないで、
読んだり寝たり読んだり寝たりしながら一気に(?)読み終えました。

なんというか腹にこたえる、だがしかし良い気分です。
人間の精神の解剖図を見せられたような、いや、違うな、
精神の内臓というかハラワタをズルズル引っ張り出して見せられたようjな、
そんな気分。眠いけど。

この小説は実際に起こった大量殺人事件を描いているのですが、
明治25年5月25日(この日付にも、ある「意味」がある)、
大阪の南にある水分という村で起こった惨殺事件、
いわゆる「河内十人斬り」として後世に伝わる出来事です。

金銭トラブル、そして自分の嫁の浮気、そんなことが理由で、
怒り心頭の博打打ち・熊太郎が、子分の弥五郎と共に、
村の実力者や嫁を次々と惨殺。ひどい殺し方。

事件をこんなふうに説明すると、数行の「歴史的事実」に過ぎないのだけど、
『告白』という小説は、この首謀者熊五郎の内面に分け入り、
生まれた時からの精神の遍歴を事細かに言葉にすることで、
「なぜこんな惨劇を起こしたのか?」を執拗に追いかける。

もちろんそこには作者の「解釈」があり、
小説はあくまでも「創造物」なのだが、
しかしひとりの人間がどうにかこうにかして生きる姿、
善なるものと悪なるものの間でうごめきながら、
いろんなことに「後になって気がつき」ながら、
最後には「生きるために殺す」みたいな場所にたどり着く、
その精神の遍歴に揺さぶられます。

ひとりの人間が、自分のこと、他者のこと、命のこと、創造主のこと、
そういうものを、こんなにもまあ考えて考えて考え抜く、
ああ、小説ってすごい、面白い、素直にそう感じます。

ここまで徹底的に考え抜き、思いめぐらせていながらも、
結局、最後に事件を起こして自害する熊太郎は、
宿命とかいうものの前にひれ伏すしかなかったのか。
そうも感じます。よくわからんけど。

でも、これだけ考えても、遂にはわからないのです、
最後には自分の意志ではない、まったく別のものが彼を殺す。
そんな感じもしました。

あとは、時代に殺されたというやつです。
熊太郎は乱暴者の博打打ちですが、じつは思弁的で思慮深い。
まわりからは無口で口ベタと思われているが、そうではない。
何か言おうと思うと、その前に頭の中にいろんな思いが湧いてくる、
それもけっこう論理的思考、しかしそれを口にしようとする前に、
まわりの物事のほうが先回りして動いてしまう。
その結果、熊太郎は、自分で自分を置き去りにしてしまう。
そこに世界と自分との違和感の溝が生まれ、それが深まっていきます。

時代は明治時代の前半、きっと日本人の意識改革の真っただ中。
身分秩序に基づいた前近代的な社会が終わり、
日本人ひとりひとりが自分の意志と意識を持ち始めた時代。
「個」が生まれた時代なのでしょう。
そういう意味では熊太郎は、田舎にあっても、
かなり「近代的自我を持った先進的な日本人」だったのではないか。
それもまた悲劇の一要因だったようにも思えます。

あと、葛城ドールって何だろう。
これはもう読んでもらうしかないので詳しく書きませんが葛城ドール。
これが何を象徴しているのか。
それとも葛城ドールは葛城ドールでしかないのか?

いろいろ思うところはありますが、
とりえず空は青いしコーヒーはうまいし、
今日も生きます。





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TheaterNautilus

Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表・今村幸市によるブログです。
年に2~3回、オリジナルの脚本による芝居を上演しています。
次回公演は2018年10月です。
http://theaternautilus.
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