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2019-02

フィンチャー、盲腸、境界線

病院仕事は慢性的な人手不足もあって相変わらず多忙、
今週は原稿仕事がなかったから救われたけど、
帰宅したあとはソファでウトウトという毎日。

ウトウトしながら毎日少しずつ、DVDで映画観てました。
デヴィッド・フィンチャーの『ドラゴンタトゥーの女』。
原作のミステリーが話題になってたアレです。

聖書の話が出てくるあたりから、
「あー、この監督が何故この原作を選んだのか、なんとなくわかる…」
なんて思いながら、とても面白く観ました。
この監督の映像のまがまがしい美しさ、
たとえばリドリー・スコットの無機的な映像美よりも、
血や汗の匂いがしみこんだ生き物のような映像美。
ともかく『セブン』を、もう1度見返してみよう。

村上龍の『希望の国のエクソダス』は心地よい刺激でした。
で、次なに読もうかなーと思って本箱から取り出したのが、
『脳はなぜ「心」を作ったのか』という、とてもそそるタイトル。

「心」がどうやって「進化」してきたのか?
いや、そもそも「進化」してるのか、もしかして「退化」してるのか?
……みたいなことをは、ずっと前から気になっていて、
『ラジエーター』の稽古中にも、ずっとそんな話をしていたような気がしますが、
この本も、そんな興味から買った……ような気がする。忘れたけど。

この本は、「からだのどこまでが自分なのか?」という
すこぶる挑発的な問いかけから始まるのだけど、
「口の中の空間は、自分の肉体の一部なのか?」
という古典的命題は、きっと永遠に答えの出ない「?」なんだよね。

いや、思い出したのは、そのことではなくて、
サルトルの『水いらず』のこと。

ほら、あの小説の中で、
自分の恋人が自分を愛しているのはわかるけど、
では自分の盲腸は愛しているのか?みたいな一節があったでしょう。

手元に『水いらず』が無いから確認できないのだけど、
ある女が「自分の盲腸をビンに入れて恋人に差し出しても、
恋人は何の反応もしないのだろう」みたいなことだった気がする。

で、それを読んだとき、
「もし自分の恋人の心臓とか肺とか骨の一部とか、
そういうものを見せられたとしたら、
それに対して、自分はどんな感情を抱くのだろう」
ということを思った。まあ、答えの出ない問いかけだけど。

でも、それを考え始めたら、
たとえば誰かを好きになったとき、
自分は相手の「何を」好きになったのだろう?
というモヤモヤした疑問が浮かんできて、それでもやっぱり
「いや、僕は好きな人の心臓を、やっぱり好きになるだろう」
という、よくわからない決意をしたりして、
ひとりで盛り上がったような気がします、もうずっと昔のことだけど。

自分というものの「範囲」というか、
自分と世界との「境界線」というか、
そういうのって、意外とわからないものなんですね。

そういうことも、今度の『スカイ』とどこかでつながってます。
なんか無理矢理『スカイ』に結びつけようとしてると思いますか?
いえいえ、とんでもない。

さあ、週末、ああ、稽古場に行くのが本当に楽しみ。
明日の寒さが、ほどほどでありますように。



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TheaterNautilus

Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表・今村幸市によるブログです。
年に2~3回、オリジナルの脚本による芝居を上演しています。
次回公演は2018年10月です。
http://theaternautilus.
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