「美しいもの」と「そうでないもの」
数日前ヤフーニュースに面白い記事が出てました。
若手女優の中に「美少女ではない容貌」が不足しているらしいです。
みんな美人過ぎるというわけです。
その結果、たとえば学校を舞台にしたドラマを作ると、
クラス中が美少女だらけになり、リアリティが出ない。
まあ、確かにそうだなと思います。
美人もいれば、そうでない人もいるのが世の中。
だからこそ、そこに外見の美醜以外の価値観が生まれ、
「人間の価値は外見ではない」という「正論」も生まれる。
いや、人間の審美眼の違いだって、
いろんな容貌を持つ人がいるから生まれるわけで、
「みんな一律美人」てことになると、
そもそも「美」とは何ぞや?という疑問さえ誕生しない。
「美人もいれば、そうでない人もいる」というのは、
人間の精神生活の発展に大きく寄与している事実なのでしょう。
……とかなんとか面倒くさいこと言わなくても、
映画やテレビを見ていて「世の中こんなに美形ばかりじゃないのにな…」
と思うことは、確かにあります。ブサイクもいるぜ、と。
この記事を読んで思い出したことがあります。
数か月前に出た記事で、アメリカのある女子高生が、
「ディズニーはデブに冷たい」と言い出して共感を得ているとか。
ディズニーのアニメはよく知りませんが
(というか、アニメ全般にまったく詳しくありませんが)、
デブの主人公とか重要人物というのはいないらしい。
ディズニーアニメなんて、世界の最大公約数的な価値観をもとに、
可もなく不可もない、ちょうどいいラインの世界観でできてる、
そんな勝手なイメージがあります。
だから当然そこには、太った人もいれば痩せっぽちもいる、
美人もいるしそうじゃない人もいる、そう思ってました。
でも、どうやらそうではないらしい。
「ディズニーよ、お前もか」という感じです。
現実世界というのは、いろんなものが混沌としています。
美しいもの醜いもの、豊かなもの貧しいもの、明るいもの暗いもの……
だからこそ、そこに悲喜劇が生まれドラマが描かれます。
そこにリアリティも存在するのでしょう。
「昨今の若手女優には美人しかいない」というのは、
おそらくみんなが求めたものの結果でもあるのだろうけど、
作り手の側が「リアリティ不足」で悩んでいるとしたら、
なんともまあ皮肉な話。
ちょっと飛躍しますが、もうひとつ思い出したのが、
心理学者の岸田秀が書いていたこと。
「文明社会が進むと、『美味しい=甘い』に近づく」という話。
高度な文明社会に生きる人々は、味覚に「甘さ」を求めるらしいです。
確かに「甘いものは、おいしい」というような思い込みが、
ぼくらにはあるのかも知れません。
甘くなくてもいいはずのものまで甘くすることで
「おいしい」という評価を受ける、みたいな。
本来ならば小さく細分化されてるはずの味覚が、
「甘い」という大雑把な価値観に収斂されていく、
そこに岸田秀の文明批判があったのかどうかは、
もう忘れてしまいましたが……きっと違うな。
ともかく、この話を思い出しました。
人間も、「なんとなく美しいほうがいい」という方向に
価値観が偏っていく、もしかして、そんな時代なんじゃないか?
美醜の平均値が、かなり「美」のほうに偏ったラインで
定着しようとしているのではないか?
ちょっとそんな感じがしませんか。
「とりあえず甘ければいい」みたいな感じ、それと同様に、
「とりあえず美しければいい」みたいな。
なんだかそんなことを感じました。
忘れないように書いておこうと思いました。
さて、『水槽』の稽古が始まりました。
まだ、プレ稽古ですが、これから2か月、
たまらなく楽しく苦しい時間が待っている気がします。
ともあれ、大好きな稽古の日々がスタートです。
若手女優の中に「美少女ではない容貌」が不足しているらしいです。
みんな美人過ぎるというわけです。
その結果、たとえば学校を舞台にしたドラマを作ると、
クラス中が美少女だらけになり、リアリティが出ない。
まあ、確かにそうだなと思います。
美人もいれば、そうでない人もいるのが世の中。
だからこそ、そこに外見の美醜以外の価値観が生まれ、
「人間の価値は外見ではない」という「正論」も生まれる。
いや、人間の審美眼の違いだって、
いろんな容貌を持つ人がいるから生まれるわけで、
「みんな一律美人」てことになると、
そもそも「美」とは何ぞや?という疑問さえ誕生しない。
「美人もいれば、そうでない人もいる」というのは、
人間の精神生活の発展に大きく寄与している事実なのでしょう。
……とかなんとか面倒くさいこと言わなくても、
映画やテレビを見ていて「世の中こんなに美形ばかりじゃないのにな…」
と思うことは、確かにあります。ブサイクもいるぜ、と。
この記事を読んで思い出したことがあります。
数か月前に出た記事で、アメリカのある女子高生が、
「ディズニーはデブに冷たい」と言い出して共感を得ているとか。
ディズニーのアニメはよく知りませんが
(というか、アニメ全般にまったく詳しくありませんが)、
デブの主人公とか重要人物というのはいないらしい。
ディズニーアニメなんて、世界の最大公約数的な価値観をもとに、
可もなく不可もない、ちょうどいいラインの世界観でできてる、
そんな勝手なイメージがあります。
だから当然そこには、太った人もいれば痩せっぽちもいる、
美人もいるしそうじゃない人もいる、そう思ってました。
でも、どうやらそうではないらしい。
「ディズニーよ、お前もか」という感じです。
現実世界というのは、いろんなものが混沌としています。
美しいもの醜いもの、豊かなもの貧しいもの、明るいもの暗いもの……
だからこそ、そこに悲喜劇が生まれドラマが描かれます。
そこにリアリティも存在するのでしょう。
「昨今の若手女優には美人しかいない」というのは、
おそらくみんなが求めたものの結果でもあるのだろうけど、
作り手の側が「リアリティ不足」で悩んでいるとしたら、
なんともまあ皮肉な話。
ちょっと飛躍しますが、もうひとつ思い出したのが、
心理学者の岸田秀が書いていたこと。
「文明社会が進むと、『美味しい=甘い』に近づく」という話。
高度な文明社会に生きる人々は、味覚に「甘さ」を求めるらしいです。
確かに「甘いものは、おいしい」というような思い込みが、
ぼくらにはあるのかも知れません。
甘くなくてもいいはずのものまで甘くすることで
「おいしい」という評価を受ける、みたいな。
本来ならば小さく細分化されてるはずの味覚が、
「甘い」という大雑把な価値観に収斂されていく、
そこに岸田秀の文明批判があったのかどうかは、
もう忘れてしまいましたが……きっと違うな。
ともかく、この話を思い出しました。
人間も、「なんとなく美しいほうがいい」という方向に
価値観が偏っていく、もしかして、そんな時代なんじゃないか?
美醜の平均値が、かなり「美」のほうに偏ったラインで
定着しようとしているのではないか?
ちょっとそんな感じがしませんか。
「とりあえず甘ければいい」みたいな感じ、それと同様に、
「とりあえず美しければいい」みたいな。
なんだかそんなことを感じました。
忘れないように書いておこうと思いました。
さて、『水槽』の稽古が始まりました。
まだ、プレ稽古ですが、これから2か月、
たまらなく楽しく苦しい時間が待っている気がします。
ともあれ、大好きな稽古の日々がスタートです。
スポンサーサイト
● COMMENT FORM ●
トラックバック
http://theaternautilus.blog99.fc2.com/tb.php/1024-88da3c6e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)