2017-10

今日も電気羊の夢を見ながら

「うつろな重力」の稽古は着々と進んでいます。
着々と、というのは、けっして「何の問題もなく、滞りなく、スイスイと」ではなく、
みんな悩み苦しみ戸惑い頭かかえて……という意味。
ちなみに、今回は役者として出演する僕自身も、そのうちのひとりです。
「ああ、これが役者の苦悩なんだね」などと初めて体験する感覚が
とても新鮮な毎日。正直「やってよかっ」と思っています。

それにしても、自分とは別の人間を演じるということは、
こんなにも大変なことなんだねえ、と思いながら、
頭の片隅で最近よく考えるのは、フィリップ・K・ディックの、
『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』という小説のことです。

映画『ブレードランナー』の原作本ですが、
遠い星の植民地からアンドロイド8体が反乱を起こして逃亡し、地球に侵入、
警察に雇われたハンターがそれを殺していくという物語。

このアンドロイドの造形が面白いのです。
見た目は人間とまったく同じなので、外見では見分けがつかない。
しかし、それだけではない。
アンドロイドには「作られた記憶」が埋め込まれている。
生まれてから今までのすべての記憶、それは「ひとりの人間としての記憶」。

つまり、あるアンドロイドに子供の頃のことや両親のことを質問すると、
ふつうの人間と同じように、それを思い出し、語ってくれる。
そのアンドロイドはそれが「作られた記憶」とは思ってない、
自分の本当の記憶だと信じている、そしてそれが根拠となって、
「自分は人間なのだ」と信じ込んでいる。

周囲の人間も、アンドロイドがふつうに昔話や家族の話をするので、
まさかアンドロイドだとは気づかない。
なかなか斬新なこの設定、これがじつはこの小説の悲劇の原因になります。

でもって、ふと考えてみれば、
役者が役を演じるというのも、じつはちょっとこれに似てる気がします。
役を役たらしめているのは、その脚本の中だけの話ではない、
その役の人間が生まれてから今まで生きてきたすべての時間を背負って、
その役者は舞台の上に立つわけです。

言い換えれば、別の人間の記憶、造形された記憶、
それをいかに精緻に思い描けるか?
そこに「役を演じる」ことの面白さがあるのだと思います。

物語には直接関係なくても、どんな家庭に生まれ、どんな家族に囲まれ、
どんな経験をして、どんな幸福や不幸を味わって、そしてそこにいるのか。
それを一から創造して、役者はそこに立つ。
そしてそれらの記憶、それらの時間が、今、新たな物語を生み出していく。
それが「芝居」という形になるわけです。

芝居そのものは、せいぜい1時間半か2時間ですが、
しかしそこにいる人間たちは、今まで生きてきた何十年かの時間を背負っている、
そのことを表現できるかどうかが、役者というものの快楽ではないか?
ディックの小説を思うたびに、そんなことを考えます。

ちなみにアンドロイドたちが反乱を起こした理由は、
外見的にも内面的にも人間とまったく同じ彼らが、
じつは人工物であるためにいつか寿命が来てストップしてしまう、
という事実を知ったこと。その残酷な事実が彼らを狂わせます。

役者もまた、最後の上演が終わり、2度とその役を演じることがなくなる時、
狂おしいほどの寂しさと虚しさを味わってほしい。
そう思うのは、作・演出としての僕のわがままですかね。

いやいや、この公演が終わったとき、自分がどう感じるか、
それも今から楽しみです。

そんなことを思いながら、本日も稽古。
初日は3月15日。チケットは絶賛発売中ですよ。







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