2017-10

夢で食べたキウイの味

最近、芝居の夢をよく見ます。
さっきも小屋入りした日の夢をみて目が覚めました。
明日が初日、役者たちが忙しく準備をしている、
それをずっと見てまわっている自分。
どういうわけかキウイをたくさん使う芝居で、
舞台の袖で女優さんが大量のキウイの皮をむいている。
つまみ食いしたキウイの酸っぱさが今も口の中に残っています。

ぼくは、あと何本、芝居を作ることができるのだろう、
よくそのことを考えます。だから夢を見るんだろうか。
これから先、いくつの脚本を書き、稽古をし、
役者さんたちを本番の舞台に送り出すのだろう。
あと何本? 残りは何本?

10年前に渡辺大介君と知り合ったとき、彼は、
「ぼくはこれからの人生で100本の芝居に出演しますよ」と宣言し、
ひとつの公演が終わるたびに、「ああ、あと残り●本か」と寂しがっていた。
そのときは苦笑して聞いていたけど、
今は自分自身があのときの渡辺大介君みたいな心境です。
「あと何本なんだろう、あと何本、作らせてくれるのだろう、神様は」。

そして、何かの理由で、何かの事情で、芝居を作れなくなったとき、
そのとき、ぼくはどうするのだろう、
どうしても芝居を辞めざるをえなくなったとき、
そのあと自分はどうするのだろう、何が待っているのだろう。

芝居をすることで呼吸しているような毎日なのだから、
その芝居が出来なくなってしまったら、もう呼吸をやめてしまうようなもので、
そのあとの自分を想像できない、というか想像するのが怖い、恐ろしい。

あ、今、呼吸してる、吸う息と吐く息とを、今、すごく自覚しています。

最近読んだ小池真理子の短編、タイトルは忘れたけど、
ある夫婦の話があります。ごくふつうの平凡な夫婦、どちらも晩婚だけど、
とくに大きな出来事もなく、穏やかな、とても満ち足りた幸せな日々を送っていた。
ところが夫のほうが、病気で死ぬ。まったく突然に訪れた死。
あまりにも突然過ぎて、夫自身、自分が死んだことに気づていない。
気づいていないから、ときどき家に帰ってくる。仕事から帰ってくるようにして。
妻は夫の好物を準備して迎える。ごく普通に、当たり前のように。
なにげない会話をしながら、妻は夫が自分が死んだことに気づかないよう祈る。
悲しみをこらえながら、夫となにげない会話を続ける妻。

短いけれど、とても切ない話です。
自分が死んだことに気がつかないで、ふつうの日常生活を送り続ける、
そんなことが起こるはずはないのだが、いや、もしかしたら、
「起こるはずがない」と勝手に信じているだけで、
じつは、ふつうに起こっていることかもしれない。

ぼくたちの周囲には、もしかしたら、
自分が死んだことに気づかないで、ふつうの日常生活を送り続けている人が、
じつはたくさんいるのかもしれない……などと思ったりもしました。

道ですれ違った人が、電車で目の前に立ってる人が、
じつはもう死んでいるのに、それに気づいてない人で、
周囲の人も、気づかせないように、そっと大切に接している、
そんなことが、じつはごく当たり前のように起こっている。

世の中に「生」と「死」とがそんなふうに混在していたら、
それはそれで、なんだかありがたいというか、なんというか……

もしぼくが死んでも、周囲の人がそれを気づかせないで、
まるでぼくが生きているかのように振る舞って。
稽古場に集まり、稽古をして、本番を迎えて、
打ち上げで、また夢を語り、次の公演のことを話し……
そんなことが永遠に続いたら、どんなに楽しいだろう。
楽しくて、悲しい。

夢で食べたキウイの味が、まだ口の中に残っています。






スポンサーサイト

● COMMENT FORM ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://theaternautilus.blog99.fc2.com/tb.php/1158-e7466404
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

TheaterNautilus

Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表によるブログです。
前向きに更新します。

最新記事

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

最新コメント

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示