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2018-12

「パクリ」と「パクリじゃない」の間には

仕事がなんとなくひと段落するこの時間になると、
ついフラフラとブログを書きたくなるのは疲れてるからだと思う。

「書く」ことは「癒し」である、というのは心理学でもよく言われますが、
「仕事用の顔」をして丁寧な言葉使いで電話したりする1日が終わると、
ボケッとした頭で自分の言葉をダラダラと書き連ねたくなります。

さて、昨夜はハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』を読んでました。
「ん?」と思う人もいるかも知れませんが、ちょっと前に日本で流行した
いわゆる「セカチュー」のタイトルは、このSF小説の邦題が元ネタ。

「セカチュー」はロマンチックな話だったみたいですが、
エリスンのSFは、叫んでるのは「けもの」ってくらいで、かなりハード。
タイトルだけは似てるが、まったく別もの。

こういうのは、とくに問題にはならないんだなあと思いますが、
最近、『あらゆる小説は模倣である』という挑発的なタイトルの本を読んで、
「似て非なる」とは何ぞや?と、あらためて思います。

小説に限らず、映画でも芝居でもテレビドラマでも歌でも、似てるものは結構ある。
「あ、これ、どこかで見たなあ」と思うことは珍しくない。

それが盗作問題になることもあれば、ならないこともある。
あの違いって何だろうな。

日本文学科に在籍してたのに僕は知らなかったのですが、
漱石の『吾輩は猫である』には元ネタがあって、かなり内容が似てるらしい。
森鴎外の代表作なんかも、そう。いわゆる文豪といわれる人の小説には、
「原型となった作品」があるものが珍しくないとか。
井伏鱒二の『山椒魚』なんか、ほとんどまるまるそっくりのが外国にあるらしい。

かと思えば、『あらゆる小説は模倣である』によると、
村上春樹のデビュー作がアメリカで翻訳出版されてないのは、
カート・ヴォネガットやブローディカンの習作と見なされかねないから、
というのが理由らしいです。へえ、そうなんだ。確かに似てるけど。

「似てる」とか「真似してる」とか「たまたまかぶった」とか、
いろいろあって、それぞれの事情があるんだろうけど、
きっと出来上がった作品そのものに、「作品としての主体性」があれば、
似てるとか似てないとか、あまり関係ないんだろうな。

あ、『あらゆる小説は模倣である』という評論は、
けっして「模倣」が悪いと言ってるのではなく、
「似てる」とか「かぶってる」という視点から文学の本質をとらえる、
とても面白い内容です。そういう考え方もあるんですね。納得。

そういえば、ぼくが書いた脚本の中にも、
「あのドラマと似てますね」と言われるものがあるけど、
もちろん、意識してパクったりしたことはないし、
自分で書いたものの独自性は保ってるつもりだから、
何を言われようと、べつに気にならない。
これはこれ。誰にも文句は言わせない(笑)。

今、奥泉光の『虫樹音楽集』という面白い短編集を読んでますが、
これを「カフカの『変身』が元ネタ」といって非難する人はいない。
すごく面白いんだもんなあ。久しぶりに読んでて爽快な小説です。オススメ。

『世界の中心で愛を叫んだけもの』というタイトルから、
ロマンチックな愛の物語が生まれても、
まあ、それはそれでアリなんでしょうなあ。

何度も書くけど、『世界の中心で愛を叫んだけもの』というSF小説は、
とてもバイオレンスなハードものです。SF版ジム・トンプソンみたいな。

なーんてことをダラダラ書いてると、
少しは気分が癒されます。

「書く」という「癒し」に救われる今日この頃です。

さあ、晩御飯にするか。








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TheaterNautilus

Author:TheaterNautilus
シアターノーチラス代表・今村幸市によるブログです。
年に2~3回、オリジナルの脚本による芝居を上演しています。
次回公演は2018年10月です。
http://theaternautilus.
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