2017-07

何もない、何もない、何もない

ただもうやみくもに歩きたい、
どこまでもどこまでもズンズン歩きたい、
などという根拠のない願望に押し出されるようにして
とりあえず外に出てはみても、
「ああ、あれやらなきゃ、これもやらなきゃ」とアレコレ思い出し、
中途半端な距離のところで戻ってきてしまう、
ぼくはクソッタレな人間です。

すべてを捨てるなら、今まさにその瞬間だ、
などと思うのだが、捨て去る勇気がない。

今一番やらなきゃならないのは脚本の続きを書くことだが、
どうしても指が動かない。
バイトがかわってハードな毎日が続き、ライター仕事もあり、
貧しい食生活と睡眠時間のために貧血気味で、
ただ追い詰められているだけの毎日………というのは、ただの言い訳で、
何を置いても真っ先に脚本を最後まで書きあげなきゃというのは百も承知。
しかし頭の中に重い暗幕が垂れ下がってるようで何も進まない。

とりあえずレッドブルを飲もう。

ああ、この胃腸のいやーな違和感は何だろう。
何かを飲み込んだかのような、重み。
いっそのことスッと安楽死でもしないかな、とも思うのですが、
神様はきっと「お前は、こんなふうにして人生の最期を迎えるのだよ」
と思い知らせてやろうと手ぐすね引いて待ってるのだろう。
パタンと倒れて自分でも気づかないうちに死ぬ、というのは無理なのかな。
悪趣味だよね、神様。

ついこの前までは手術室で他人の血液ばかり見て仕事していましたが、
今はビルの18階から、空と、東京の風景を見ながら仕事しています。
飛び降りる度胸もありません。

誰かおいらに、一丁のピストルを。

せめて、この不愉快な胃腸を全摘出してください。













ブルーホエールのこと

ブルーホエールと聞いて、最初は牧歌的なゲームかと思いました。
しかし全然違うらしい。ロシアで密かに流行している恐ろしいゲームです。
鯨には自分から浜に乗り上げて「自殺」する習性があるそうですが、
ブルーホエールは、そこから名づけられたらしい。

ネット上のゲームで、ルールはシンプル。
参加者は「毎日ホラー映画を見る」「毎日4時20分に起きる」など、
意味があるのかないのかわからない任務を確実に遂行していく。
中には「太腿にナイフで傷をつける」などの過激な任務もあるらしいが、
参加者は素直にそれを守るらしい。

そして、与えられた任務を確実に遂行し続けて50日目、
最後の任務が下される。それが「自分から命を絶て」。
つまり自殺を促すわけです。

まさかそれで本当に自殺する人もいないだろうと思うのですが、
実際にロシアでは130人のティーンズが自殺しているそうです。

そもそも、これらの情報がどこまで真実かわからないし、
自殺者の数も本当かどうか確かめようがない、
もっと増えてるかもしれない。
これらはあくまでもネットの情報です。デマかもしれません。

しかし、これが実話かどうかはべつにしても、
実際にあってもおかしくない話のような気がします。
一体だれが命令を下しているのか知りませんが、
最初は簡単に遂行できる任務から始まれば、
だんだん遂行すること自体が快感になり、やめられなくなり、
何かにとらえられたかのような感覚になり、
そして最後の「自殺しろ」という任務に対しても、
何の疑問も抱かなくなる……

人間の習性というか本能というか、
それをうまくついているゲームなのかもしれません。
いや、それにしても、もし本当に自殺者が出ているとしたら……

最後が自殺であるというのが、むしろひとつの「魅惑」なのかもしれません。
潜在的に自殺願望を持っていても、実際に自殺する勇気のない人が、
このゲームによって自分を少しずつ追い込んでいき、
あたかもゲームの結果として自殺を選んだかのように死ぬ。
そういう一種の「壮大な言い訳」なのかもしれません。

あるいは「ロシア」というのが、ひとつのミソで、
まるで一種のイデオロギーや社会体制が人々を侵食していく、
そのメタファーとして生み出されたゲームなのかもしれない……
などと、いろいろな想像がふくらみます。

いずれにしても確かなことは、
ネットという「もうひとつのリアル」が存在するからこそ、
広がっているゲームだということです。
ネットの奥底にひそむ得体のしれないリアリズムから下される任務、
ゲームの参加者は、そこに「もうひとつのリアル」を感じて従う。
というか、そこに自分自身のリアルを感じてしまう。

なんだか、ネット社会の落とし穴の恐怖を感じさせるゲームです。
このゲームの最後に自殺した人にとって、
自分が死ぬことは、あくまでも「ゲームの結果」でしかなかったのか、
それとも、その瞬間「あ、死ぬことは、本当に本当のリアルなんだ!」と気づくのか。
できることなら、質問してみたいです。

ネットの情報では、ロシア発祥のこのゲームが、
今は中国で拡大しているとか。
これも本当の話かどうかわかりません。

しかし、ブルーホエールに妙なリアリティを感じてしまうのは、
どうしてだろう。「あってもおかしくない」と思う、この感覚。
ネットには、そういうところがあるような気がします。

そして、そこからひるがえり、人間にとってのリアルとは何ぞや?
みたいなことを、あらためて考えさせてくれる話です。
ブルーホエール、いずれは日本にも上陸するのだろうか?

ときどき検索してみようと思っています。









「ビフォー」と「アフター」

「スマホの限界を試す」と周囲に宣言して、
もう限界も限界、かなりボロボロになるまで使い果たしたスマホが、
いよいよ「もはやこれまで」という状態になったので、
ついに3年半ぶりに機種変しました。

店員さんと向き合ってあれやこれや質問されたり説明を聞いたり、
なんのかんので新しいスマホを手にするまで約2時間。
はー、長かったなあ。

今稽古している『孤独の観察』は、12年前に起こったある出来事を、
当時クラスメイトだった男女が振り返るという物語なのですが、
みんなで12年前のことをあれこれ話しているうちに気がついた、
12年前にはまだスマホは存在していなかったのですね。

12年前には存在していなかったモノが、今は当たり前のように使われる。
じつは、同じ座組みの役者さんたちはグループLINEでつながっているので、
スマホは必需品。あー、いつの間にこうなったのか?

いやいや、そればかりではない、
携帯やPCが存在しなかった時代だって知ってるぼくとしては、
「じつはそんなものが無くても、人は生きていけるんだけどね」
などと年寄りじみたことも、つい言いたくなります。
言いたくなるけど、結局はそれが無ければ生活が不便、
そんなスタイルに巻き込まれてしまっている。

「当たり前のこと」というのは、時代によって変化する。
いや、時代によってどころか、毎年のように変化する「当たり前」。
それを目の当たりにしながら、「いや、こんなものがなくても、
人は生きていけるんだけどね」とボソリとつぶやいてみる。

などと言いながら、新しいスマホは文字が読みやすくて気持ちいい。
前のは画面がズタズタで文字が読みにくかったもんなあ。

ところで、ネット社会の出現で、人と人との距離感は確実に変わった。
……ような気がします。じつは、その部分の変化が重大。
「道具」としてのスマホよりもね。そう思います。

じつは『孤独の観察』は、そんなことを背景にした物語です。
シアターノーチラスの芝居で、スマホやネットなんてものが
大きな役割を果たすのは、多分初めて。
恐らくそこには、「ネット社会以前」を知っている者の感覚が、
どこかに関わっていると思います。

「ビフォー」と「アフター」で何が変化したのか?
そんなところから考えた物語です。
ネット社会の真っただ中で生きる人たちに、
ぜひ見ていただきたい芝居です。

毎度のことながら、にぎやかな稽古場です。
暗くて重い芝居なのに、稽古場はいつも明るい。
いや、重い芝居だからこそ、せめて稽古場は…てことなのかな?
どんな芝居に仕上がるのか、とても楽しみです。

初日は7月12日です。







真夜中に雨の音

買ってきたばかりの卵を床に落として割ってしまうという、
サザエさんでもやらないような凡ミスを犯してしまい、
夕食がずいぶんつつましくなってしまいました。
最近、胃腸が疲れているから、その方がいいのかも知れないけど。

この胃腸の違和感は何だろうな。睡眠不足か心理的疲労か。
いっそのこと地球外生命体が卵を産み付けたとか、
肉体の一部が化石化し始めたとか、
そういうアレなら、まだ面白いんだけどな。
あるいは、次に書く物語の「芽」とかね。

真夜中に雨の音を聞いていると、いろいろなことを思い出します。
何だろう、この雨音効果。
何かの記憶を確かめさせるために、
神様がわざと降らせているのではないかと思うような、雨。

ここ数年の間に亡くなった知り合いや肉親のことを思い出したり、
故郷の、自分が生まれ育った家のことを思い出したり、
そんな記憶をたどっていると、どんどん時間が過ぎていきます。
ああ、もうこんな時間なんですね。

時間が流れる音って、どんな音なんだろう。
チクタク…は時計の秒針の音だから、時間が流れる音ではない。
サラサラ? ふるふる? きりきり?

そもそも、「時間が流れる」という言い方は、なぜできたのだろう?
「流れる」ということは、時間というのは、液体みたいなもの?
それとも砂時計の砂のようなもの?
時間とは、液体なのか? 固体なのか? もしかしたら気体?

……などということをボンヤリ考えている。
時間が流れる、時が流れる。やっぱり液体?
人間はその流れに身を任せて、一緒に流れているのだろうか?
そして時々、その流れに溺れそうになったり、実際に溺れたり。

少なくとも、両手ですくいとることができるようなもの、
そして、指の間からすり抜けて、こぼれていくようなもの。
それが「時間」のような気がします。
こぼれおちた時間は、もう2度とすくいとれない。

眠れないと、いろいろ不健全なことを考えますな。











言葉が通じない、意思が伝わらない

NHKのSWITCHインタビューで、この前、
生命科学者の柳澤桂子さんとバリアフリー研究者の福島智さんが
対談していました。柳沢さんは若い頃から病気で寝たきり、
福島さんは幼い頃から目と耳が不自由。
そんなふたりが生命や心の不思議について語ります。

東京大学で教えている福島さんは、
「指点字」という独特の方法で人と会話をする。
あらかじめルールとして点字の6個の穴と指の6本を対応させておき、
通訳者がどの指を触れるかによって言葉を伝える。
この方法で福島さんは人と会話するし大学の講義も行います。

どんな人間でも、なんとかして人とコミュニケーションをとりたいと思ったら、
その手段は必ず存在するし、コミュニケーションは可能なのだ。
快活に「会話」する福島さんを見ていると、そう思います。

最近、人とコミュニケーションがとれなくて苦しんでいます。
長い付き合いの人なのだし、むしろ「ツーカーの仲」でもいいはずなのに、
言葉が通じない、意思の疎通ができない。
必ず、どちらかが誤解や勘違いをして、意味もなく怒ったり、
イライラしたり、過剰防衛したり、もうムチャクチャ。
その結果、会話は予想もしなかった方向に展開し、
イヤな感情とむなしい疲労だけが残る。その繰り返し。

なぜこうなるのだろう?と考えていて思ったのは、
あまりにもメールやLINEに頼りきってるからではないか?
顔を見て肉声で話すのではなく、スマホの画面でやりとりする。
そこに、行き違いや誤解が生まれる理由がある気がします。

相手から送られてきた文面をスマホの画面で読むとき、
自分の感じた読み方で読む。たとえば「怒ってる文面」とか、
「暗に何かを要求してる文面」とか「本当はイヤイヤ書いてる文面」とか……
いや、書いてる方の人間は、そんなことまったく思ってなくて、
ごくごく平常心でサラッと書いただけなのに、
読み手は、自分の先入観やその時の気分で読んでしまう。

もともとぼくは人の言葉を正しく読み取ることがヘタなので、
よくそういう誤りを犯します。
他人の言葉を曲解したり、勘違いしたりして、
過剰反応してしまうことで、信頼を失ったことが何度も何度もあります。

そんな「読み違い」をお互いに繰り返すから、
結局、伝えたいことは伝わらず、誤解が誤解を生みだし、
話は、不穏な空気に包まれ、険悪な関係になってしまう。
そんなことが積み重なり、ほとほと疲れ果てています。
相手の誤解に。自分の誤解に。

メールでもLINEでも、結局のところ、
それを書いた人間の気持ちではなくて、
「それを読む人の側に合わせて読まれてしまう」。
書いた側のものではなく、読んだ側のものになってしまう。

ネットというものが発達して、気軽に言葉を発信できるようになり、
人と人との関係が「密」になっているように見えます。
しかし、画面に言葉が並んだだけのコミュニケーションでは、
実際には誤解や勘違いが生まれることも珍しくなく、
じつはコミュニケーションなんてまったくとれていない、
……などということも、あるのではないかと思います。

「ネットが人間同士の距離を縮めた」なんて、じつは錯覚。思い込み。
ただそう見えるだけで、じつは全然近づいてない。
最近、つくづくそう思います。深く深く実感しています。
いやいやいや、何なんだろうな、この世界は。

そして今度の『孤独の観察』にも、そんなことが出てきます。
今のこんな時代だからこその「孤独」について考えながら作っています。
そんな物語です。

ちなみに、福島さんが「会話」のために利用している「指点字」という方法は、
「なんとかして息子とコミュニケーションとりたい」と考えた、
福島さんのお母さんが考案したものだそうです。

なんとかしてコミュニケーションとりたい!
人に伝えたい!
人から伝えられたい!

その単純素朴な望みを実際にかなえるのは本当に難しい時代。
なんとかしなきゃとジタバタもがいています。








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