2018-04

1冊の本を探すということ

去年ものすごく話題になった、香港を舞台にした華文ミステリー、
陳浩基の『13・67』があまりにも面白かったから、
2012年に出版されたこの作家の『世界を売った男』を読もうと、
ネットでずいぶん調べてみた。

でも考えることはみんな同じみたいで、どこも売り切れ。
文藝春秋は当然重版するだろうけど、いつになるやら。
Amazonで中古品が2万円以上の値段、
新品は3万円ですぜ。もともと1200円の本なのに。

「本が売れない」と言われてもう長くなるけど、
良い本、面白い本は、やっぱり売れるのだ。当然だけど。

ところで、『世界を売った男』には電子書籍もあって、
これが1000円。

これって、どうなんだろう、紙の本が手に入らないなら、
電子書籍でもいいから読もう……と考える人は、
一体どれくらいいるのだろう。

おいらは電子書籍で読む気にはならないからパス。
じつは都内の本屋かなり歩き回って探してるのだけど、
これからもしばらくは探すよ、古本屋も含めて。

でも、紙の本が無いなら、電子書籍でもいいやって人が、
やっぱり増えてるのかな。どうなんだろう。

『13・67』は本当に面白いです。
ウォン・カーウェイが映画化権を買い取ったらしいけど、
すごく楽しみだな。早く観たい。
香港を舞台にした警察小説の連作。
内容は全然違うけどケン・リュウ『紙の動物園』読んだときの衝撃に匹敵。

にしても、電子書籍か……
なんて時代なんだ。
おいら絶対











14年も待っていたこと

大袈裟ではなくて本当に本屋さんに行くたびに必ず、
「新作はまだ出ないのか?」と思っていた。ずっと。長い間。いつもいつも。
その原尞の最新作が、ついに14年ぶりに出るらしいです。来月。

じつは去年、知り合いに「原尞は死んだよ」なんて聞かされてました。
「え? まじかよ、新作出さずに死んだのか」とガッカリしてたのだ。
生きてた、ちゃんと、よかった。しかもかなりの大作らしい、新作。
こうなりゃ、ついブログも書いてしまうねえ。

それにしても、早川書房、ミステリマガジンの「原尞読本」はいいにしても、
新作の第1章だけを先に掲載するって、どうなんだろう。
本を買って読みたいから、あえてミステリマガジン買ってないけど、
あー、正直気になるじゃないか。

14年前、4作目の『愚か者死すべし』を読んだ頃、
おいら一体何をしてたんだろう?なんて、ついつい考えてしまいます。
新作が出れば中身も見ないですぐレジに持っていく作家は何人かいるけど、
そんなふうにして誰かに読んでもらえるものを書くって、
本当にすてきなことだと思います。

次回公演の告知をしたら、すぐにチケット予約してもらえるような、
そんな芝居を作っていきたいものです。

最近は、もうひとつ楽しみがあります。
朝日新聞社が出してる黒澤明のDVDコレクション。
2週間おきに黒澤映画のDVDが手に入る。おお、なんてすごい時代なんだ。
え? こんなことしていいの?って気もするけど、なんかね、なんかね。

もうずいぶん前に、小津安二郎の名作のDVD9枚が、
1980円のセットで売られてるのを見て(『東京物語』も『麦秋』も入ってる!)、
「こ、こ、これは芸術の冒涜だ!!」と頭にきつつも買ってしまった(笑)、
そんなことを思い出しました。

黒澤明や小津安二郎の映画を個人で所有して好きなときに観る、
それって、やはり幸せなことなんだろうなあと思います。
いつでも『七人の侍』が観れるなんて、ちょっと不思議な感じ。

初めて『七人の侍』を観たのは、東京に出てきてすぐの頃。
後に火事で焼けてしまう京橋のフィルムセンターでのこと。
そんなに大きくないスクリーンでしたが、
日本史上最高といわれる時代劇は大迫力でした。

野武士と闘うクライマックスの凄さはもちろんですが、
そこに至るまでのドラマ、志村喬が侍をひとりずつ集めていくところや、
7人が農民たちと闘いの準備をするくだり、
観てるほうも感情が少しずつ積み上がっていく、
その気持ちの高ぶりの心地よさが、とても好きです。
まるで人間の感情の奥底にひそんでる
戦いの本能の導火線にじっくり火がつけられるような。

そんなわけで生まれて初めてDVDコレクションを地道に買うことにしました。
『蜘蛛巣城』や『野良犬』が待ち遠しい。

なんかね、当たり前のことだけど、
誰かをわくわくさせる、誰かの心をふるい立たせる、誰かを魅了する、
そんなものを生み出すことって、なんてすてきなことなんだろうと、
つくづく思います。それはなんてすばらしい人間の営みなのだろう。

時代や国を超えて、顔も名前も知らない人の心をとらえて揺さぶりたい、
そんな単純明快な願望について、あらためて考えてみたい気分です。

そして、とりあえず原尞の最新作だ。
14年間も待っててよかった!









近況は、こうです。

1か月以上ぶりです。
このページにログインするためのパスワードを忘れてるんじゃないかと
かなりハラハラしました。無事に入れました。

年末年始はちょっと風邪ぎみであまり体調がよくなくて、
なるべく外に出ないで映画と本ばかりの日々でした。
体も心も栄養を欲していたのだと思います。
借りてきた映画を20本くらい観て、読みたかった本をまとめ読みし、
あとはもう、ただボンヤリ、天井か空を眺めていました。

よい映画がたくさんありました。
夢中で一気読みした本も、珍しく「金返せ」と言いたくなるような本も。
理屈は考えないで、素直に、ああ面白かったなあとか、
つまらんなあとか、単純に呑み込む。吐き出す。生理に素直に。

いつもなら、よかった映画や本のことを書きたいところですが、
今日は休みなのに早く起きてしまって、ボケッとすることにします。
仕事が忙しくて、おかげで体調が今ひとつで、
昨夜は帰りの電車の中でいきなり背中に激痛が走り、
きっとこれは精神的なものだからと自分に言い聞かせて、
痛みと同化しよう、と自分に言い聞かせました。

「痛くない状態」と「痛い状態」とがあって、
ふだんは「痛くない状態」にいるから、だから「痛み」が苦痛になる。
ふだんから自分は「痛い状態」がふつう。「痛い状態」が常態。そこが起点。
そう考えると、「痛み」は当たり前になる。

…というようなことを自分に暗示にかけると、
不思議と楽になりました………というのは嘘ですが、
「痛い」と「痛くない」の違いを考えているうちに阿佐ヶ谷到着。
いつの間にか痛みは消えていました。

えー、なんというか、そういう日々です。ちなみに、
「近況は、こうです」というのは大島弓子の、何かの漫画の冒頭のひと言。
てっきり『バナナブレッドのプディング』の冒頭かと思い込んでいたのですが、
さっき調べたら、違いました。じゃあ、何の作品の冒頭だろう……

ぼくは漫画もアニメもすごく苦手で興味なくて、ジブリも満足に観たことありませんが、
じつは、20代の頃にせっせと読んだ漫画家がいます。
大島弓子と、つげ義春。全然違うふたりですが、若い頃の栄養でした。
ふたりとも今も全集を持っています。
どうしても捨てられないもの。

どうしても捨てられないものがどうしても捨てられないのは、
それと初めて出会ったときの自分が、そこにずっといるからだと思います。
何かをどうしても捨てられないのは、
過去の自分をどうしても捨てられないのと同じなのでしょうね。

なんか朝から無益なことをだらだら書いてますね。
今朝はもうコーヒー3杯目です。








近況は、こうです

ひさしぶりにTSUTAYAに行ったら『美しい星』がDVDに。
さっそく観ました。ずっと気になってたし。

原作は三島由紀夫の異色作で、
これがあの『金閣寺』や『憂国』を書いた人の小説か?
という感じのファンタジックなSF(?)。

じつはこの小説、『月はゆっくり歩く』を書いたきっかけでもありました。
三島由紀夫に『美しい星』があるのなら、
ノーチラスに『月はゆっくり歩く』があってもいいじゃないか。
まったくもって「ナニサマ?!」な言い草ですが、
しかし『月はゆっくり歩く』の前には本当は、
宇宙人とファーストコンタクトする家族の物語を考えていた。
まさに『美しい星』の変形、亜種です。

ともかく『美しい星』から、僕はかなり感化されていたのですね。
ちなみにこの小説、三島の文学作品としてはほとんど評価されていません。
しかし三島自身は、これをいたく気に入っていたらしい。

作品としての評価は別にして、三島由紀夫という文学者の頭の中に、
『美しい星』のようなアイデアがひそんでいたというのは、
なんかすごく良い話というか、ホッとするというか、
いや、これ、ある意味、すごく三島由紀夫らしい小説だと思うのです。

で、映画だ、映画。
映画はね、小説とはかなり違ってた。骨組みだけいただいた感じ。
小説では、UFOを見たことをきっかけに、4人の家族が、
自分は太陽系内の別の惑星から地球にやってきたのだということに気づき、
地球の未来を守ろうとする話。
映画のほうも、まあ、だいたいそんな感じなんだけど、
主人公はお天気キャスターだし、奥さんは生粋の地球人だし、
息子と娘の話もちょっとずつ違ってるし。
でもまあ、言いたいことは同じなのかな。

ただ、「作品」として見たら、すごく印象が異質。
小説では、主人公の家族に素直に感情移入できたけど、
映画ではなぜかそうもいかず。なんか「へんな人たち」だったな。
でも、いい映画だと思います。意欲的だし。オススメです。

あと、本は『煙草と少女』を読んでます。不思議なタイトル。
書いたのはブノワ・デゥトゥールトゥル。知らん。こんな人。だれ?
ひとりの死刑囚が死刑執行の前の「最後の一服」を要求するが、
刑務所長は刑務所内が禁煙であることを理由にそれを断る。
……という話と、
完全禁煙の役所の中、トイレでひそかに煙草を吸っていた公務員が、
その現場を見知らぬ少女に見られてしまい、訴えられる。
……という話とが、いずれどこかかで交差する……多分。わからんけど。

ふたつの物語が交互に語られ、それが交差するっていうの、
なんか好きみたいだな、おいら。

でもね、この小説が俄然面白くなってきたのは、
死刑囚の「最後の一服」を巡る裁判で国選弁護人に選ばれた女性弁護士が、
弁護士としてまったく実力のないポンコツだという設定だから。
なぜかこの設定に惹かれた。

これがもし有能な敏腕弁護士なら、この小説それほど面白くないだろうな。
いや、まあ、そんな気がするだけ。根拠は無い。

なんか面白いものに囲まれてると、幸せだな。
野外に放り出される昼休みも苦じゃないぜ。









それでも、月はゆっくり歩く

ひさしぶりに予定のない日曜日。
いや、予定がないこともないが、時間を気にしなくていい日曜日。
ここ数日で本をドカッと買ったり、
2か月ぶりにウィニングイレブンやったりして、
「日常生活」を取り戻しています。

『月はゆっくり歩く』が終わりました。
眼科画廊に来ていただいた皆さん、
役者の皆さん、
支えていただいた大勢の皆さん、
本当にありがとうございました。

今回は大きな冒険の回でした。
いい意味でも悪い意味でも「ノーチラスって、こういう芝居でしょ?」
そんな「路線」というか、周囲のノーチラス観というものが、
なんだか固定されようとしているのを感じて、
「このままでは同じ芝居を繰り返すことになる」
という不安を感じていた、
だから、このへんで1度、既存の「ノーチラスらしさ」から離脱したかった。
暗黙のうちの「まわりの期待」から、解放されたかった。

それがあるから、役者さんも、ひとりを除いて全員が初顔。
原点回帰のつもりでした。

その結果「今までのノーチラスとは違う」という人も多く、
正直がっかりした人も大勢いました。
そのことは申し訳なかったと思います。

ただ、僕にとっては「僕自身から解放される」
「固定されたノーチラスらしさから解放される」という意味で、
必要な回でした。だから、これでよかったと思っています。

きっと次回から、もっと自由自在な、開放的な気分で、
芝居を作れるのではないかと思っています。
そしてそれが、もっと観客を楽しませる結果につながると思います。

うんと遠くまで見渡せるようになった、
視界が広がり、眺めがよくなった、そんな気分です。
もっといろいろあるし、やりたいことが。

10年前のことをよく思い出します。
その頃ぼくは千葉県の流山に住んでいて、
東京で暮らした時間のことをボンヤリ思い返していた。
そんな気分の中で劇団を立ち上げて芝居を始めた。
都心の稽古場まで行くのはすごく大変だったけど、
あのころは何を求めていたんだっけか。

そんなことを考えるのにちょうどいい天気。
あー、空が青いねえ。

お腹も、ちょうどいい空き具合です。













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